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ヴィットリオ・ストラーロ  『レッズ』とキャメラマン・ユニオン

――ウォーレン・ビーティの映画『レッズ』についてですが、あれには、大変な時間とエネルギーを注ぎ込まれましたね。ところがあと5日で終了というところでストップが出た。撮影がハリウッドで行われているからということで、ユニオンが自分たちの管轄内であたなに仕事をさせまいと妨害したわけなんですけれど*、ちょうど今お話していることとかかわってきますね。ユニオンは誰か他の人があなたに代わって撮り上げる、それでも結果は同じだと言っているんですね!どのみち、ルックは同じに出来上がると言っているんですが。

ストラーロ 私はアメリカ撮影監督協会にあてて、次のような手紙を書きました――「思想、あるいは直感的洞察を文学、美術、音楽、写真に変換させる創造性を持つ人のことを"作家"と言えるのであれば、また、写真が光の文学であるならば、そして撮影者とは、その経験、感受性、知性、感情、といったものを加味させながら、光、影、トーン、色を用いて与えられた仕事に自己のスタイルと個性の刻印を刻む作家である、というのが正しいとするならば、一国の撮影者を代表するユニオンが、他国の撮影者を代表する者によってなされた撮影の大切な最終仕上げの段階になって妨害を加えるなどということが、良心があるならばできることでしょうか――しかも1年以上かかわってきた仕事に対してです。
 それはまるで、作家に対して、その著作の終章を書き上げさせないこと、画家に対して最後のひと筆を加えさせないこと、作曲家に対して"フィナーレ"の完成を拒否することと同じではありませんか。このことは今日まで撮影者の芸術性と地位を高めるためになされてきた努力の核心を攻撃するものです。映画の撮影監督は表面に出ない技術者に過ぎず、いつでも好きな時に別の技術者と取り替えることができ、その映画にその人が注ぎ込もうとする創造の努力や個々のヴィジョンが突然侵害されてもどうしようもなかった昔に逆戻りさせることです。
 これは、その作品の作家たる全世界の撮影者に敵対する行為です。問題になっている、当のユニオンの全会員の利益に敵対する行為です。"光の文学のマジック"――撮影に敵対する行為なのです。」

――説得力のあるご意見ですね。

ストラーロ 撮影者の仕事を守ると言いながら、一方で私たちを機械の部品みたいに取り替えることができると考えているなどというのは、気狂い沙汰です。今までにこんなにがっかりしたことはありません。露出計をてにすることもできなかったし、13ヶ月間も力を合わせて取り組んできた映画のキャメラを覗くことさえできなくなったのです。


*ユニオンに加入するように説得されたが、ハリウッドに興味のないストラーロはそれを無視して帰国してしまった。だからその後に撮影された『ワン・フロム・ザ・ハート』ではストラーロは撮影監督のタイトルを与えられていない。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P267)
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by JustAChild | 2010-09-12 02:08 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  『レッズ』とキャメラマン・ユニオン

――ウォーレン・ビーティの映画『レッズ』についてですが、あれには、大変な時間とエネルギーを注ぎ込まれましたね。ところがあと5日で終了というところでストップが出た。撮影がハリウッドで行われているからということで、ユニオンが自分たちの管轄内であたなに仕事をさせまいと妨害したわけなんですけれど*、ちょうど今お話していることとかかわってきますね。ユニオンは誰か他の人があなたに代わって撮り上げる、それでも結果は同じだと言っているんですね!どのみち、ルックは同じに出来上がると言っているんですが。

ストラーロ 私はアメリカ撮影監督協会にあてて、次のような手紙を書きました――「思想、あるいは直感的洞察を文学、美術、音楽、写真に変換させる創造性を持つ人のことを"作家"と言えるのであれば、また、写真が光の文学であるならば、そして撮影者とは、その経験、感受性、知性、感情、といったものを加味させながら、光、影、トーン、色を用いて与えられた仕事に自己のスタイルと個性の刻印を刻む作家である、というのが正しいとするならば、一国の撮影者を代表するユニオンが、他国の撮影者を代表する者によってなされた撮影の大切な最終仕上げの段階になって妨害を加えるなどということが、良心があるならばできることでしょうか――しかも1年以上かかわってきた仕事に対してです。
 それはまるで、作家に対して、その著作の終章を書き上げさせないこと、画家に対して最後のひと筆を加えさせないこと、作曲家に対して"フィナーレ"の完成を拒否することと同じではありませんか。このことは今日まで撮影者の芸術性と地位を高めるためになされてきた努力の核心を攻撃するものです。映画の撮影監督は表面に出ない技術者に過ぎず、いつでも好きな時に別の技術者と取り替えることができ、その映画にその人が注ぎ込もうとする創造の努力や個々のヴィジョンが突然侵害されてもどうしようもなかった昔に逆戻りさせることです。
 これは、その作品の作家たる全世界の撮影者に敵対する行為です。問題になっている、当のユニオンの全会員の利益に敵対する行為です。"光の文学のマジック"――撮影に敵対する行為なのです。」

――説得力のあるご意見ですね。

ストラーロ 撮影者の仕事を守ると言いながら、一方で私たちを機械の部品みたいに取り替えることができると考えているなどというのは、気狂い沙汰です。今までにこんなにがっかりしたことはありません。露出計をてにすることもできなかったし、13ヶ月間も力を合わせて取り組んできた映画のキャメラを覗くことさえできなくなったのです。


*ユニオンに加入するように説得されたが、ハリウッドに興味のないストラーロはそれを無視して帰国してしまった。だからその後に撮影された『ワン・フロム・ザ・ハート』ではストラーロは撮影監督のタイトルを与えられていない。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P267)
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by JustAChild | 2010-09-12 02:08 | Wards


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