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ジェームズ・T・ファレル   僕はブラックソックスを覚えている


 そして1919年のワールドシリーズをシンシナティ・レッズと戦うことになったとき、ホワイトソックスは無敵のチームだと思えた。アメリカン・リーグだったらシンシナティ程度のチームはせいぜい4位どまりだっただろう。ホワイトソックスの2塁手エディー・コリンズの前任者モーリス・ラスみたいな使い古しの選手ばかりの、寄せ集めのチームだ。ワールドシリーズの行方が決まっているように思える年があったとすれば、それは1919年だった。そして確かに行方は決まっていたが、決めていたのは賭博師たちだった。
 1919年のシリーズがどう仕組まれていたかについては、これまでさんざん語られてきた。第1戦でシンシナティはエディー・シーコットをノックアウトし、9対1で勝った。僕は58番通りの高架鉄道の駅で新聞を買い、がっくりしながらこの試合のプレー詳細を読んだことを覚えている。シーコットは滅多にない乱調だった。1919年のシーズン、彼はどのアメリカン・リーグのピッチャーよりも安定していた。唯一彼の上を行っていたかもしれないのはウォルター・ジョンソンだけだ。そして翌日、レッズはレフティ・ウィリアムズを攻略して4対2で勝った。ここ一番で最高のプレーを披露するチームだというのに、ホワイトソックスは信じられないくらい不調だった。でも僕は選手やスポーツ記者、賭博師たちが出入りするホテルのロビーから遠く離れたところにいた。八百長が仕組まれているなんて夢にも思わなかった。

<中略>

第5戦もシンシナティが勝った。第6戦と第7戦にホワイトソックスが勝利し、シンシナティが4勝3敗でリードして両チームはシカゴに戻ってきた。
 僕の叔父さんは僕の高校の神父に手紙を書いて、甥がシリーズの第8戦を観戦したいと言っているので学校を休ませて欲しいと頼んだ。その手紙には、一生忘れられないようなワールドシリーズの試合を観られるなんて滅多にないチャンスなんですと書いてあった。僕は休みを許された。外野席に1人座った。晴れた日だった。<中略>ソックスの攻撃になるたび、チャンスはあった。でもレッズが10対5で勝った。思ってもいなかったことが起きてしまったのだ。ホワイトソックスはどう見ても格下のチーム相手にワールドシリーズ敗退を喫したのである。

<中略>

 何人かの選手が出てきた。青いスーツを着てグレーの帽子をかぶったレフティ・ウィリアムズもいて、ファンの何人かが彼に声をかけた。他にも何人かが階段を降りてきた。そしてジョー・ジャクソンとハッピー・フェルシュが姿を見せた。2人とも大柄な選手だった。背が高いのはジャクソンの方で、フェルシュの方が横幅があった。2人はシルクのグレーのシャツに白いズックのズボン、白い靴という颯爽としたいでたちだった。ゆっくりとクラブハウスの階段を降りてきて、顔は無表情を装っていた。
 何人かのファンが声をかけたが、2人とも応えなかった。向きを変えて立ち去っていった。同時に、群衆もゆっくり、ぞろぞろと2人を追っていった。僕も一緒に行って、ジャクソンとフェルシュの1メートル半ばかりうしろをついていった。2人はいくぶんゆっくりと歩いていた。ファンの1人が声を上げた——
「ほんとじゃないんだろ、ジョー」
渦中の2人は振り向かなかった。ゆっくりと歩き続けた。群衆は次々に声を上げ、大人も少年も幾度となく言った——
「ほんとじゃないんだろ、ジョー」
 この言葉が、スタンドの下を35番通り側へと歩いていくジャクソンとフェルシュの背中を追っていった。2人は球場を出て、ライトの外野スタンド裏のサッカー場に停めた車へと向かった。僕はサッカー場の出口のそばで待った。そこでも多くのファンが待ち構えていた。まもなくフェルシュとジャクソンはそれぞれスポーティーなオープンカーに乗って、何も言わずに2列に並ぶファンの間を縫って走り去っていった。
 僕はクラブハウスに戻った。でも選手はもうほとんどいなくなっていた。暗くなってきていた。観衆がいなくなったあとの球場は本当に寂しいものだ。あの9月の日曜の夕方ほど球場をわびしく、さびれて見えたことはなかった。日はほとんど暮れていた。僕は家に帰った。本当なんだな、と僕は肌で感じた。でも選手たちが何とかこのスキャンダルから抜け出して、プレーを続けられるようになることを願っていた。
 2日後、シーコットとジャクソンは大陪審に事実を認めた。フェルシュとウィリアムズがそれに続いた。ホワイトソックスのオーナー、チャールズ・A・コミスキーは7人の選手を出場停止処分にした。8人目の選手チック・ガンディルは1919年のシーズンを最後に引退していた。
 シーコットは共謀の分け前として1万ドルもらったことを認めた。ジャクソンは供述によれば5千ドルを受け取っていた。選手たちは全部で10万ドルもらったという話だった。本当はもっともらう約束だったのだが、賭博師たちに裏切られて十分な分け前をもらえなかったらしかった。報酬の詳細はいまだ完全には明らかにされていない。この取引に関わったとして名前が挙がったのは、かつて二流ピッチャーだったビル・バーンズと、元フェザー級チャンピオンのエイブ・アッテル、それにニューヨークの賭博師アーノルド・ロススタインだった。
 8人の選手たちは起訴されて、共謀罪に問われたが、刑事告訴は免れた。球界最初のコミッショナー、ケネソー・マウンテン・ランディス判事は8人を永久追放処分にした。

 1922年、ジャクソン、リスバーグ、ウィリアムズらの選手たちはどさ回りの巡業を試みた。僕の通っているセント・シリル高の野球コーチが選手たちと知り合いで、この巡業チームに加わってプレーする契約をした。ある日の午後彼は、ジャクソン・パークで僕らが練習しているところにレフティ・ウィリアムズを連れてきた。ホワイトソックスのユニフォームを着たウィリアムズは、僕たちの打撃練習のピッチャーを務めてくれた。全部直球で、僕らに打たせてくれた。話しかけてはこなかった。スウィード・リスバーグは黙って立って見ていた。彼も話しかけてはこなかった。
 人呼んで「ブラックソックス」はシカゴでどさ回りを始めた。75番通りとイリノイ中央鉄道が交差するグランドクロッシングにある小さな球場で彼らはプレーした。今ではその球場も取り壊されてしまった2千人くらいの観客がその試合を観ていた。ジョー・ジャクソンは鉄道の線路を越える一発を放った。

 どさ回りの巡業は失敗に終わった。

 その後、僕の野球への思いは変わってしまった。ずっと長い間どのチームも応援しなかった。大人になろうとしていた僕にとって、その事件は野球選手をヒーローとして崇拝する日々の終わりを告げるものだった。多くのファンが裏切られた思いを抱いていた。僕は違った。僕は残念だった。嘘だったらよかったのにと思っていた。選手たちにもう一度チャンスが与えられたらと思っていた。
 ジョー・ジャクソン、バック・ウィーバー、マクマリン以外、ブラックリスト入りした選手たちはまだ生きている(1957年現在)。ジャクソンは野球界の伝説になった。文盲だったと言われていて、マイナーリーグにやってきたときにシューズを持っていなかったという逸話が残っている。かの「嘘だと言ってよ、ジョー」の話は伝説になった。スポーツライターたちの中には、そんなことがあったこと自体を否定する者もいる。伝えられているところによれば、ジャクソンが大陪審で証言している間、シカゴの裁判所の外では群衆が待ち構えていた。彼が出てくると、少年たちが彼に呼びかけたという——
「嘘だと言ってよ、ジョー」
 でも僕がここで書いたように、こうしたことは本当にコミスキー・パークで起きたのだ。勇気があったら、僕も多くの大人や少年たちと一緒に声を上げていただろう。

 ジャクソンの姿はまざまざと瞼に蘇ってくる。背が高くてほっそりしていて、打席では内股に構えていた。両膝を曲げ、バットを揺らしてボールに踏み込んでいって、球界でも屈指の優雅さと力強さを併せ持つスイングを見せてくれた。ベーブ・ルースは彼のバッティングスタンスを参考にした。タイ・カップは彼のことを最も偉大な天性の打者だと讃えた。1911年、メジャーでレギュラーに定着した最初の年、ジョーは4割8厘の打率を残した。ホワイトソックスファンの一番の誇りだった。彼がいるということは、最高の野球選手が自分たちのチームにいるということだった。ジョー・ジャクソンの裏切りは、他のどの選手よりもシカゴのファンを深く傷つけたのである。



( ジェームズ・T・ファレル 「僕はブラックソックスを覚えている」 訳:藤井光 『モンキービジネス 2008 Spring vol.1』 ヴィレッジブックス P50-58)
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by JustAChild | 2012-12-11 05:49 | Wards


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