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カテゴリ:Wards( 76 )

マノエル・ド・オリヴェイラ ― インタビュー : 『不安(Inquiétude)』における「不安」について


関係のない、いくつかの異なった物語で構成されている映画を本当に好きになったことは一度もなかった。この映画はプリスタ・モンテイロの『不死の人生(OS IMORTAIS)』という奇妙な劇作品を映画にしてみたいという密かな願いから、すべてがはじまった。

しかし、コンテができると映画が短かすぎるものになるのではないかと急に不安になり始めた。そこで前から映画にしたいと考えていた2つの物語のことが頭に浮かんだ。それも同じく小さなもので、その時までにまだ実現はされておらず、まとめるのにちょうどいい機会だった。アントニオ・パトリシオの中編小説『スージー(SUZY)』が舞台にかけられ、それがヒントになって3つの物語を1つに結びつける可能性を与えてくれた。このようにして『スージー』が中心的なモチーフになり、『不死の人生』とアゴスティナ・ベサ・ルイスの『河の母(MAE DE UM RIO)』という物語を包み込んでいる。この『河の母』という物語は、フラッシュバックの形で語られる。映画全体に『不安』という題をつけたのは、それぞれの物語で多かれ少なかれ不安なことがテーマになっているからだ。実際、この『不安』という映画は、死すべきものが潜在的に持っている不死をつかみたいという欲望の表れを描いた3部作といえるかもしれない。


(大阪ヨーロッパ映画祭公式ホームページ http://www.oeff.jp/article210.html)
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by JustAChild | 2010-10-02 18:46 | Wards

『Famous』 Reiko Underwaterに聞く

――最初の『Famous』のコンセプトは“空っぽでビジュアル的な表現が完全に欠落した真っ白の雑誌”とのことですが、この創刊号のアイディアはどのように生まれたんですか?

Reiko 最初は漠然と雑誌を作りたいなあって思ってただけ。ちょうどTsunami-AdddictionでHypoと仕事をしていた頃のことだわ。イメージ(つまり膨大な数の写真)にちょっとうんざりしながら、あるひとつのアイディアが浮かんだの。コントリビューター(寄稿者)とビジュアル的な表現のない真っ白な雑誌を作ったらどうだろうって。

<中略>

――ベルギーで印刷しているようですが、フランス国内よりも印刷のコストが安いんですが?

Reiko 生産管理のことよくわからないんだけど……たぶんそうじゃないかな。印刷に関しては私じゃなくてSophieが決めているから。

――広告は自身の広告が入っているくらいですが、雑誌の制作コストはすべてあなたの持ち出しですか?

Reiko 友達の広告も掲載しているけど商業的な広告は載せたくない。もしActive Suspensionの広告が掲載することが決まったら、それは私たちがそのレーベルが好きで信頼をおいているから。私にとってはそのこと自体が情報を含んだ記事になると思うの。ただ『Issue#9/kids In Luxury』は例外で、あの号ではラグジュラリーな大企業の広告をたくさん載せる予定。特集が“LUXE(贅沢)”に関する内容だから特別ね。

――雑誌を作る上で一番大変なことはなんですか?

Reiko  よいコントリビューターを見つけることと、読み手を満足させること。


(『AFTERHOURS Issue#20 Annivarsary Special :2004 Summer』 [仏の地下機関誌『Famous』の全貌 text & interview by kyoko matsuya / translation by noriko yamane] AFTERHOURS P145 )
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by JustAChild | 2010-10-01 02:10 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  私たちは過去のすべての撮影者を代表している

ストラーロ 『暗殺のオペラ』では基本的なアプローチはストーリーそのものが指示してくれていた。架空の物語でしたが、本当にあった話として表現しようとした。ある小さな町が物語の舞台だったので、その狭い地域をひとつの巨大なステージとして表そうというのが私たちの考え方だった。使おうとしたのは強烈でかつ純粋な色彩でした。ベルトルッチとの最初の映画でした。この映画の準備のためにミラノやローマのような大都会を出て、初めて田舎に行った時のすばらしさといったらなかった。都会では、煙や霧がフィルターのような作用をするので、物の本来の色が見えない。真っ赤な夕焼けや、青々とした水や、緑の草原が実際のところよく見えていないのです。澄んだ空気の中で、自然の純粋な色を見た時は、何とも言えない感動と強烈な印象を受けた。都会の騒音に邪魔されずに音を聞くこともすばらしかった。いつも車やエアコンやテレビなどの音をひっきりなしに耳にしているので、音を聞く能力が失われているけれど、そういう雑音を取り除くと、にわかに木の葉の落ちる音、木々の間を吹き抜ける風の音が聞こえてくる。これは大きな発見でした。『暗殺のオペラ』のあのルックはこういう経験から出たものです。
 私たちは現代の撮影者として、過去のすべての撮影者を代表している。現在に至るまでのありとあらゆる仕事の集積があって、はじめて現在の私たちがあるわけです。しかし、さらにその先に絵画の歴史がある。洞穴の壁に描かれた最初の落書き以来、古代エジプトの絵画以来、ピエロ・デラ・フランチェスカ以来、それぞれ独自の様式で、ストーリーや形態を個人の感情として表現するさまざまなやり方があらわれてきた。私たちの意識するしないにかかわらず、デザインしたり写真を写したり映画を撮ったりする時、それはこれまでの二千年の歴史をバックボーンとして表現しているということなのです。ですから私たちはこれまでになされたものを意識している必要がある。画家に過去のある様式と同じに絵を描いてくれというのは間違っていると思うし、ある撮影者のほかの映画と同じスタイルで撮影しろというのも間違っている。そんなことは絶対に出来ることじゃない。まったく同じような形で、同じ要素、同じ歴史が繰り返されることなどありえないからです。でも、どの方向に進むか、何をやりたいのか自分ではっきり知るために過去の作品を参考にすることはできます。

――リファレンスとしう形でのみ存在するということですね。

ストラーロ 参考にするものがあると、こうではなくああだと私たちに方向付けを与えてくれる。ですから文化や歴史に関する知識、それに自分自身の経験が大切になる。絵だけではなくて、演劇だとか、今こうして話し合っていることも大事なことなのです。あなたが手にしておられる書類が今このテーブルに影を落としていますが、これも私にとって参考になっている。私の心に影響を与えているかもしれないのです。どんなふうにか、あるいはなぜだか、またいつなのかはわかりませんが、これがまた記憶によみがえらないとは言えないのです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P257)
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by JustAChild | 2010-09-26 18:21 | Wards

山田宏一   ブリジット・バルドーは探偵ごっこがお好き

 べべの最愛の夫(アンリ・ヴィダル)は若くてハンサムな歯医者さん。妖艶な美人ダンス教師(ドーン・アダムス)が彼をさかんに誘惑しようとしていることをべべは知っている。その美人ダンス教師が殺された。しかも、彼女の死体のかたわらには、こともあろうに、彼がピストルを手にして呆然と立ちつくしていた。もちろん、彼は無実、"あたしの彼"が殺人など犯すわけがないのだから。でも、警察はきっと彼を殺人容疑で逮捕するにちがいない。そのまえに、なんとかして真犯人を見つけださなければ!
 そこで、べべは、殺された美女のダンス教室にもぐりこみ(もちろん踊りはセックス同様得意中の得意なべべのことだからダンスの先生というふれこみで雇われる)、被害者の周辺をさぐってみると、怪しい人物がゾロゾロ出てくる。なかでも、ゲイ・バーのダンサーのフィリップ・ニコーが、どうも、くさい……。
 『気分を出してもう一度』(ミシェル・ボワロン監督、1959年)のブリジット・バルドーは、こうして、そそくさと事件の現場に出かけていき、独自の捜査を開始、そして、そんな彼女の素人探偵ぶりにうんざりさせられながらもじっとイライラして辛抱強く耐えてくれる警部さん(ポール・フランクール)の力を借りて、見事、真犯人をとらえてみせる。

<中略>

 ミシェル・ボワロン喜劇のべべは浮世の苦しみなど知らぬわがまま放題のブルジョワ娘。『気分を出してもう一度』の彼女が、アンリ・ヴィダル――というのは実生活ではミシェール・モルガンの若い夫で、『リラの門』(ルネ・クレール監督、1957年)でダニー・カレルを地下室にひっぱりこんで誘惑したセクシーで色男の殺人犯であるが、ミシェル・ボワロン喜劇ではいつもべべの愛する夫の役である――の演じるハンサムな歯医者さんを好きになって"しゃにむに"自分のものにしてしまったことは想像に難くない。実際、パパ(ノエル・ロクヴェール)の猛反対を押し切って、彼女はこの素敵な歯医者さんと結婚したのである。彼女はもちろんパパも大好きだが、歯医者さんの彼のほうがもっと好きなのだ。好きで好きでたまらないから、診察室にまで彼のあとをついていって、白衣を着こみ、患者などそっちのけにして、彼とベタベタ、キスばかりしている。その大好きな彼が濡れ衣を着せられて犯罪事件に巻き込まれたのである。べべとしては黙っているわけにはいかない。というわけで、この"神聖なお転婆娘"の探偵ごっこがはじまるのだ。
 ところが、この素人探偵は踊りに目がない。踊りはもちろん彼女にとってはセックスの代名詞である。その最も象徴的なシーンが、ダンス教室のホールで、"ふとって身軽な"ダリオ・モレノと陽気で快活なマンボを踊り狂うところ。『素直な悪女』の有名なマンボのシーン以上に心ときめく軽やかなたのしさにあふれていた――何もかも忘れてひたすらマンボを踊ることだけに身も心も浮かれ狂うべべの生きる歓びが、高らかな笑い声になってほとばしり出ていた忘れがたいシーンだ。
 すばらしいのは、べべの身の軽さである。マリリン・モンローは、たぶん、運動会の百メートル競走ではいつでもビリで、それがまた男性たちの拍手喝采を浴びることになるだろう。しかし、べべはけっしてビリにはならない――思ったよりもずっと身軽で、敏捷で、走るのが速いのである。もちろん、ミレーユ・ダルクのあの動物のような狡猾な疾走ぶりにはかなわないとしても。
 ミレーユ・ダルクも、ジョルジュ・ロートネル監督の抱腹絶倒暗黒活劇では、よく犯罪に首を突っこんだ。だが、彼女はひどく"こわがり"だし、そして逃げ足も早い。『気分を出してもう一度』のべべは、けっして大胆不敵というわけでもなく逃げ足が遅いわけでもないのだが、それにしても好奇心が強すぎるのである。もっとも、子供のような好奇心でフィリップ・ニコーの女装とメーキャップを穴のあくほど見つめているうちに、犯罪の謎をとくカギを発見するのであるが――。
 『ジャガーの眼』(クロード・シャブロル監督、1965年)のマリー=シャンタル(マリー・ラフォレ)のようにべべは何不自由ない都会の生活に退屈していたわけではないのだが、しかしいざ犯罪事件に巻きこまれたとなると、マリー=シャンタルも顔負けの冒険好きなのである。

(山田宏一 『新編 美女と犯罪』 ワイズ出版 P208)
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by JustAChild | 2010-09-24 17:42 | Wards

岡崎京子 カッコイイのが勝ち

 それにしても、この『思想の科学』という本はマジメだ。マジメだなあ。"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というイデオロギーから一番遠く離れた所にある気がします。

 そして、『家族』も。

 家族や家庭もまた、"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というヤツから遠く離れた場所にあるものです。

 家庭(または家族空間)という所は不思議な場所で、世間で唯一とされている「夫婦間で行われている合法的なセックス」を基ばんとし、そのこういの結果生まれた子供によって構成されている空間にもかかわらず、その空間ではセックスというこういが"タブー"として機能するみょうちきりんな所です。

 セックスが日常として行われている場所での禁忌。"秘めごと"としてのセックス。

 じっさい楽しい夕食の時間に、息子が自分の父親や母親に「ねえねえ僕はどんな体位のときにできちゃったコドモなのお?」と質問し、それにキチンと両親が「ハハハハ、お前はねえ後背位から松葉くずしに変えようと体をズラそうとしたしゅんかん、父さんがついついイッちゃってできちゃったコドモなんだよ」「やーねぇ、お父さんたら。あ・け・す・け ♥ 。でも、あのときはヨかったわねえ」なんて答えるシーンというものは想像しにくいものの1つです。もし、そういう家族がいたらロケン・ロールなファミリーってやつですね。カッコイイ。憧れちゃいます。

 でも大体において"ロケン・ロール的なもの"と"家庭(または家族)的なもの"は仲が悪い。相性が悪いとさえ言えます。

 それにしても"ロケン・ロール"とは一体何なのでしょう?


(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [岡崎京子テキスト・コレクション:カッコイイのが勝ち] 河出書房新社 P100)
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by JustAChild | 2010-09-24 17:07 | Wards

椹木野衣  岡崎京子の書き割り的仮説世界

――椹木さんが「書き割り」と言う時、そこには都市批判というよりは、憧れのようなプラスの感情もあるんですか?

椹木 というよりも、想像力が書き割り的なものにしか及ばないというか。「この空の向こうに無限に宇宙が広がっている」とか言われてもどうしても信じられない。何かどこかでだまされているような感じがぬぐえない。書き割り的な厚さのない平板なリアリティのほうが自分が生きて暮らしてきた感覚にはしっくりする。
 たとえばヨーロッパとか行くと、町全体がある種の理性のあらわれとして具現しているじゃないですか。街はそこにあるがままに遠近法の絵画のようでもあるし、そもそも都市という観念そのものがもっと理念的なものだと思うし、しかもそこには非常に深みのある歴史観みたいなものが、宗教であれ市民的な理念であれ隅々まで浸透していて、そういう場所では書き割り的ではないもののほうがリアリティをもって感じられるんだけれども、日本みたいなところにいると、それはちょっと無理でしょう。実際に建物とか見ても全部張りぼてだし、ファサードだけくっつけて、裏に回ったらボロボロのしもたや。それは古い建物がそうだというんじゃなくて、むしろ新しい建物のほうがそうで、見てくれだけ整えても30年もしたらボロボロになっちゃうようなプレハブばっかりでしょう。
 だから「書き割り」というのは、ぼくらが戦後たどってきた社会そのものの構造に由来することだと思うんです。つまり、対象を有機的な歴史や理想の奥行きや厚みの中で把握することができない。書き割り的な世界が好きか嫌いかということとはまた別に、そういうものを通じてしか現実に触れることができない。岡崎さんの漫画というのは、絵からしてそうだけれども、かなりそういうのを自覚的にとらえていたんじゃないかと思います。それは方法としての漫画、ということからしてそうです。
 つまり、日本の漫画というのは一方で劇画化というか、ある種の写実的な描写によって現実感を出そうという方向で発展してきたけれども、岡崎さんは、そういうものにはあまりリアリティを持たせなかったんじゃないか。あえて書き割り的に描いちゃうというか、そのつど仮説的に組んじゃうというか、物語の設定であれ風景描写であれ、人間の内面描写であれ、非常に仮説的で取り壊し可能というか。だから、下手くそだと言う人もいたけれども、それはわりと意図的に選びとられているし、もっといえばそういう面をある時期から強調すらしていたと思うんです。具体的には、測量というのではなくて、定規で引いた線で適当にできた世界ですね。

(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [椹木野衣インタビュー:エンド・オブ・ザ・ワールド] 河出書房新社 P128)
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by JustAChild | 2010-09-23 22:44 | Wards

吉田喜重  第一作『ろくでなし』を撮る

――レンズを75ミリ1本に限定したというのはどなたのアイディアですか。

吉田 これは私の発案です。映画を撮るときには、1つのレンズにしぼって撮る。それも75ミリ1本で撮ることを、あらかじめ決めていました。さまざまなレンズを組み合わせて撮影すると、これまで見慣れてきた映像空間、その肌触りを感じてしまう。75ミリのレンズは、松竹ではアップを撮るときに使われるものでした。それでロング・ショットも撮ると、焦点の合っている部分のみが強く印象づけられ、背景が霞む。こうした緊張感、映画全体が異様な、異質なものとして、観客の眼に映ることが、監督のデビューには欠かせないと思ったのです。そこにはおのずからスタイルが生まれる。

――1本で撮るということは、ファインダーを覗かなくても大体どのサイズになっているかはわかるわけですね。

吉田 しかし被写体に対しては、構図をレンズの選択によって決めるのではなく、キャメラ自体を常に動かすのですから被写体とキャメラのあいだに運動が起こり、写される俳優も舞台の定められた視点から見られているのではなく、みずからもキャメラに向かって運動する。

――それであの映画の躍動性が出てきたんですね。

吉田 そうだと思います。もちろんこれは監督の処女作には有効な方法でしょうが、それが惰性になってはいけない。こうして映像としての自分の文体ができ、確認されれば、今度はそれを壊してゆくことが必要でしょう。

――カット割りは直感でなさっていたんですか。

吉田 直感というより、映画は現場でしかないという発想です。木下さん演出を間近に見ていて、コンテを作らない方が映画が活き活きするということがわかったからでしょう。コンテを作ることは、あらかじめ想定された映像を再現しているにすぎない。それは映画表現がもつ偶然性、そのかぎりない魅力を捨て去ることです。俳優が訓練して演技すれば、それは舞台と同じです。むしろ訓練によって身につけることのできない演技、それは現場で、俳優の動きなかに、発見するしかないのです。ましてや現場には、予測のできない光がある。生きた空間がある。それと向き合うことが、映画の歓びなのです。そのかぎりでは映画の演出とは、監督自身の肉体を通しての表現でもあるのです。

――リハーサルなしでいきなり回すということはありますか。

吉田 それはあります。場合によっては、俳優が一回きりの演技と思ってやったほうが、最高のものができると、予感したときです。もっともそういう予感をあらかじめ話してしまえば、俳優はすでにテストしたのと同じで、新鮮さが失われる(笑)。


(『ユリイカ 2003年4月臨時増刊号 総特集 吉田喜重』 [吉田喜重インタビュー:パッションとしての映画 『ろくでなし』から『鏡の女たち』まで 聞き手・構成=筒井武文] 青土社 P18)
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by JustAChild | 2010-09-16 08:35 | Wards

タモリ 弔辞 ― 赤塚不二夫告別式

弔辞

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このヤロウ逝きやがったな』とまた高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が場面が、思い浮かべされています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外へのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつきニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義


( 弔辞  ノーカット版 )
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by JustAChild | 2010-09-16 07:44 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  『レッズ』とキャメラマン・ユニオン

――ウォーレン・ビーティの映画『レッズ』についてですが、あれには、大変な時間とエネルギーを注ぎ込まれましたね。ところがあと5日で終了というところでストップが出た。撮影がハリウッドで行われているからということで、ユニオンが自分たちの管轄内であたなに仕事をさせまいと妨害したわけなんですけれど*、ちょうど今お話していることとかかわってきますね。ユニオンは誰か他の人があなたに代わって撮り上げる、それでも結果は同じだと言っているんですね!どのみち、ルックは同じに出来上がると言っているんですが。

ストラーロ 私はアメリカ撮影監督協会にあてて、次のような手紙を書きました――「思想、あるいは直感的洞察を文学、美術、音楽、写真に変換させる創造性を持つ人のことを"作家"と言えるのであれば、また、写真が光の文学であるならば、そして撮影者とは、その経験、感受性、知性、感情、といったものを加味させながら、光、影、トーン、色を用いて与えられた仕事に自己のスタイルと個性の刻印を刻む作家である、というのが正しいとするならば、一国の撮影者を代表するユニオンが、他国の撮影者を代表する者によってなされた撮影の大切な最終仕上げの段階になって妨害を加えるなどということが、良心があるならばできることでしょうか――しかも1年以上かかわってきた仕事に対してです。
 それはまるで、作家に対して、その著作の終章を書き上げさせないこと、画家に対して最後のひと筆を加えさせないこと、作曲家に対して"フィナーレ"の完成を拒否することと同じではありませんか。このことは今日まで撮影者の芸術性と地位を高めるためになされてきた努力の核心を攻撃するものです。映画の撮影監督は表面に出ない技術者に過ぎず、いつでも好きな時に別の技術者と取り替えることができ、その映画にその人が注ぎ込もうとする創造の努力や個々のヴィジョンが突然侵害されてもどうしようもなかった昔に逆戻りさせることです。
 これは、その作品の作家たる全世界の撮影者に敵対する行為です。問題になっている、当のユニオンの全会員の利益に敵対する行為です。"光の文学のマジック"――撮影に敵対する行為なのです。」

――説得力のあるご意見ですね。

ストラーロ 撮影者の仕事を守ると言いながら、一方で私たちを機械の部品みたいに取り替えることができると考えているなどというのは、気狂い沙汰です。今までにこんなにがっかりしたことはありません。露出計をてにすることもできなかったし、13ヶ月間も力を合わせて取り組んできた映画のキャメラを覗くことさえできなくなったのです。


*ユニオンに加入するように説得されたが、ハリウッドに興味のないストラーロはそれを無視して帰国してしまった。だからその後に撮影された『ワン・フロム・ザ・ハート』ではストラーロは撮影監督のタイトルを与えられていない。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P267)
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by JustAChild | 2010-09-12 02:08 | Wards

ヴィルモス・スィグモンド  ソースライティングから出発し、自分自身の光源を作り上げる

――何かにライティングをするのだけれども、ライティングしているようには見せたくないという時、忘れてはいけないことは何ですか?

スィグモンド ハンガリーのライティングの授業では、私が学生だった時のことですが、「まず初めに光源を決めること」と言う教授がいた。ろうそくの明かりで撮るという授業ではずいぶん研究しました。テーブルの上にろうそくを置いて電気を消し、ろうそくがどう部屋を照らすかを見る。このように、まず基本的に自然のものからスタートする。何かを本物に見せたい時は、基本的に現実に見えるとおりを模写するわけです。映画を見にきた観客には何がリアルで何がそうでないかがわかる。だから、部屋のこの隅にスタンドがあれば、その隅から光を当てようとするだろうし、デイライトがここまで達していて、あそこに暖色の明かりがあれば、両者をミックスしようとするでしょう。そういうように現実を模倣しなければならない。ところが、絵画を勉強してみると、あるがままとは違う例に頻繁に出くわす。それはそのほうがもっといいやり方だと画家が判断したんだ。ベストのライティングとは観客がリアルだと感じた時のものなんだ。自然のままのものと比べてみても、そちらのほうが優れている時がある。俳優の顔を影にしておいても観客がたいして気にしないことはよくある。また退屈なこともある。そこで半分シルエットにしたりするんです。こういったことは撮影者にしか決められません。セットにいるほかの誰も気付きさえしないかもしれない。普通の監督でも無理でしょう。ですから自分の好みの監督と組むことがとても大切なのです。

――では、ソースライティングから出発するけれども、いつでもそこからそれることができるように、というか、自分自身の光源が作り出せるようにしないといけないわけですね。

スィグモンド おっしゃるとおりです。自分自身の光源を作り上げるわけです。どんなセットで撮る時も、美術監督と真っ先に打ち合わせることは光源はどこかということです。私との仕事になると、このことを知っていて、美術監督の人はこちらが訊ねる前に答えてくれる。光源がなければもちろんライティングにならないわけで、それでは退屈だ。自分にとって一番退屈なのは、例えばスーパーマーケットのような上からの蛍光灯照明ですね。だからそこによく手を加えます。普通の場合、上からの照明はそのまま使うけれど、そこにスーパーには存在しない柔らかいサイドライトを持ってくる。でも、柔らかい光なので誰もおかしいとは思わない。リアルでかつ興味深いルックが出来上がります。よりモデリングの幅が広くなり、ルックとしてもいくらか上質のものとなるわけです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P353)
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by JustAChild | 2010-09-10 06:26 | Wards

カテゴリ:Wards( 76 )

マノエル・ド・オリヴェイラ ― インタビュー : 『不安(Inquiétude)』における「不安」について


関係のない、いくつかの異なった物語で構成されている映画を本当に好きになったことは一度もなかった。この映画はプリスタ・モンテイロの『不死の人生(OS IMORTAIS)』という奇妙な劇作品を映画にしてみたいという密かな願いから、すべてがはじまった。

しかし、コンテができると映画が短かすぎるものになるのではないかと急に不安になり始めた。そこで前から映画にしたいと考えていた2つの物語のことが頭に浮かんだ。それも同じく小さなもので、その時までにまだ実現はされておらず、まとめるのにちょうどいい機会だった。アントニオ・パトリシオの中編小説『スージー(SUZY)』が舞台にかけられ、それがヒントになって3つの物語を1つに結びつける可能性を与えてくれた。このようにして『スージー』が中心的なモチーフになり、『不死の人生』とアゴスティナ・ベサ・ルイスの『河の母(MAE DE UM RIO)』という物語を包み込んでいる。この『河の母』という物語は、フラッシュバックの形で語られる。映画全体に『不安』という題をつけたのは、それぞれの物語で多かれ少なかれ不安なことがテーマになっているからだ。実際、この『不安』という映画は、死すべきものが潜在的に持っている不死をつかみたいという欲望の表れを描いた3部作といえるかもしれない。


(大阪ヨーロッパ映画祭公式ホームページ http://www.oeff.jp/article210.html)
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『Famous』 Reiko Underwaterに聞く

――最初の『Famous』のコンセプトは“空っぽでビジュアル的な表現が完全に欠落した真っ白の雑誌”とのことですが、この創刊号のアイディアはどのように生まれたんですか?

Reiko 最初は漠然と雑誌を作りたいなあって思ってただけ。ちょうどTsunami-AdddictionでHypoと仕事をしていた頃のことだわ。イメージ(つまり膨大な数の写真)にちょっとうんざりしながら、あるひとつのアイディアが浮かんだの。コントリビューター(寄稿者)とビジュアル的な表現のない真っ白な雑誌を作ったらどうだろうって。

<中略>

――ベルギーで印刷しているようですが、フランス国内よりも印刷のコストが安いんですが?

Reiko 生産管理のことよくわからないんだけど……たぶんそうじゃないかな。印刷に関しては私じゃなくてSophieが決めているから。

――広告は自身の広告が入っているくらいですが、雑誌の制作コストはすべてあなたの持ち出しですか?

Reiko 友達の広告も掲載しているけど商業的な広告は載せたくない。もしActive Suspensionの広告が掲載することが決まったら、それは私たちがそのレーベルが好きで信頼をおいているから。私にとってはそのこと自体が情報を含んだ記事になると思うの。ただ『Issue#9/kids In Luxury』は例外で、あの号ではラグジュラリーな大企業の広告をたくさん載せる予定。特集が“LUXE(贅沢)”に関する内容だから特別ね。

――雑誌を作る上で一番大変なことはなんですか?

Reiko  よいコントリビューターを見つけることと、読み手を満足させること。


(『AFTERHOURS Issue#20 Annivarsary Special :2004 Summer』 [仏の地下機関誌『Famous』の全貌 text & interview by kyoko matsuya / translation by noriko yamane] AFTERHOURS P145 )
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ヴィットリオ・ストラーロ  私たちは過去のすべての撮影者を代表している

ストラーロ 『暗殺のオペラ』では基本的なアプローチはストーリーそのものが指示してくれていた。架空の物語でしたが、本当にあった話として表現しようとした。ある小さな町が物語の舞台だったので、その狭い地域をひとつの巨大なステージとして表そうというのが私たちの考え方だった。使おうとしたのは強烈でかつ純粋な色彩でした。ベルトルッチとの最初の映画でした。この映画の準備のためにミラノやローマのような大都会を出て、初めて田舎に行った時のすばらしさといったらなかった。都会では、煙や霧がフィルターのような作用をするので、物の本来の色が見えない。真っ赤な夕焼けや、青々とした水や、緑の草原が実際のところよく見えていないのです。澄んだ空気の中で、自然の純粋な色を見た時は、何とも言えない感動と強烈な印象を受けた。都会の騒音に邪魔されずに音を聞くこともすばらしかった。いつも車やエアコンやテレビなどの音をひっきりなしに耳にしているので、音を聞く能力が失われているけれど、そういう雑音を取り除くと、にわかに木の葉の落ちる音、木々の間を吹き抜ける風の音が聞こえてくる。これは大きな発見でした。『暗殺のオペラ』のあのルックはこういう経験から出たものです。
 私たちは現代の撮影者として、過去のすべての撮影者を代表している。現在に至るまでのありとあらゆる仕事の集積があって、はじめて現在の私たちがあるわけです。しかし、さらにその先に絵画の歴史がある。洞穴の壁に描かれた最初の落書き以来、古代エジプトの絵画以来、ピエロ・デラ・フランチェスカ以来、それぞれ独自の様式で、ストーリーや形態を個人の感情として表現するさまざまなやり方があらわれてきた。私たちの意識するしないにかかわらず、デザインしたり写真を写したり映画を撮ったりする時、それはこれまでの二千年の歴史をバックボーンとして表現しているということなのです。ですから私たちはこれまでになされたものを意識している必要がある。画家に過去のある様式と同じに絵を描いてくれというのは間違っていると思うし、ある撮影者のほかの映画と同じスタイルで撮影しろというのも間違っている。そんなことは絶対に出来ることじゃない。まったく同じような形で、同じ要素、同じ歴史が繰り返されることなどありえないからです。でも、どの方向に進むか、何をやりたいのか自分ではっきり知るために過去の作品を参考にすることはできます。

――リファレンスとしう形でのみ存在するということですね。

ストラーロ 参考にするものがあると、こうではなくああだと私たちに方向付けを与えてくれる。ですから文化や歴史に関する知識、それに自分自身の経験が大切になる。絵だけではなくて、演劇だとか、今こうして話し合っていることも大事なことなのです。あなたが手にしておられる書類が今このテーブルに影を落としていますが、これも私にとって参考になっている。私の心に影響を与えているかもしれないのです。どんなふうにか、あるいはなぜだか、またいつなのかはわかりませんが、これがまた記憶によみがえらないとは言えないのです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P257)
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by JustAChild | 2010-09-26 18:21 | Wards

山田宏一   ブリジット・バルドーは探偵ごっこがお好き

 べべの最愛の夫(アンリ・ヴィダル)は若くてハンサムな歯医者さん。妖艶な美人ダンス教師(ドーン・アダムス)が彼をさかんに誘惑しようとしていることをべべは知っている。その美人ダンス教師が殺された。しかも、彼女の死体のかたわらには、こともあろうに、彼がピストルを手にして呆然と立ちつくしていた。もちろん、彼は無実、"あたしの彼"が殺人など犯すわけがないのだから。でも、警察はきっと彼を殺人容疑で逮捕するにちがいない。そのまえに、なんとかして真犯人を見つけださなければ!
 そこで、べべは、殺された美女のダンス教室にもぐりこみ(もちろん踊りはセックス同様得意中の得意なべべのことだからダンスの先生というふれこみで雇われる)、被害者の周辺をさぐってみると、怪しい人物がゾロゾロ出てくる。なかでも、ゲイ・バーのダンサーのフィリップ・ニコーが、どうも、くさい……。
 『気分を出してもう一度』(ミシェル・ボワロン監督、1959年)のブリジット・バルドーは、こうして、そそくさと事件の現場に出かけていき、独自の捜査を開始、そして、そんな彼女の素人探偵ぶりにうんざりさせられながらもじっとイライラして辛抱強く耐えてくれる警部さん(ポール・フランクール)の力を借りて、見事、真犯人をとらえてみせる。

<中略>

 ミシェル・ボワロン喜劇のべべは浮世の苦しみなど知らぬわがまま放題のブルジョワ娘。『気分を出してもう一度』の彼女が、アンリ・ヴィダル――というのは実生活ではミシェール・モルガンの若い夫で、『リラの門』(ルネ・クレール監督、1957年)でダニー・カレルを地下室にひっぱりこんで誘惑したセクシーで色男の殺人犯であるが、ミシェル・ボワロン喜劇ではいつもべべの愛する夫の役である――の演じるハンサムな歯医者さんを好きになって"しゃにむに"自分のものにしてしまったことは想像に難くない。実際、パパ(ノエル・ロクヴェール)の猛反対を押し切って、彼女はこの素敵な歯医者さんと結婚したのである。彼女はもちろんパパも大好きだが、歯医者さんの彼のほうがもっと好きなのだ。好きで好きでたまらないから、診察室にまで彼のあとをついていって、白衣を着こみ、患者などそっちのけにして、彼とベタベタ、キスばかりしている。その大好きな彼が濡れ衣を着せられて犯罪事件に巻き込まれたのである。べべとしては黙っているわけにはいかない。というわけで、この"神聖なお転婆娘"の探偵ごっこがはじまるのだ。
 ところが、この素人探偵は踊りに目がない。踊りはもちろん彼女にとってはセックスの代名詞である。その最も象徴的なシーンが、ダンス教室のホールで、"ふとって身軽な"ダリオ・モレノと陽気で快活なマンボを踊り狂うところ。『素直な悪女』の有名なマンボのシーン以上に心ときめく軽やかなたのしさにあふれていた――何もかも忘れてひたすらマンボを踊ることだけに身も心も浮かれ狂うべべの生きる歓びが、高らかな笑い声になってほとばしり出ていた忘れがたいシーンだ。
 すばらしいのは、べべの身の軽さである。マリリン・モンローは、たぶん、運動会の百メートル競走ではいつでもビリで、それがまた男性たちの拍手喝采を浴びることになるだろう。しかし、べべはけっしてビリにはならない――思ったよりもずっと身軽で、敏捷で、走るのが速いのである。もちろん、ミレーユ・ダルクのあの動物のような狡猾な疾走ぶりにはかなわないとしても。
 ミレーユ・ダルクも、ジョルジュ・ロートネル監督の抱腹絶倒暗黒活劇では、よく犯罪に首を突っこんだ。だが、彼女はひどく"こわがり"だし、そして逃げ足も早い。『気分を出してもう一度』のべべは、けっして大胆不敵というわけでもなく逃げ足が遅いわけでもないのだが、それにしても好奇心が強すぎるのである。もっとも、子供のような好奇心でフィリップ・ニコーの女装とメーキャップを穴のあくほど見つめているうちに、犯罪の謎をとくカギを発見するのであるが――。
 『ジャガーの眼』(クロード・シャブロル監督、1965年)のマリー=シャンタル(マリー・ラフォレ)のようにべべは何不自由ない都会の生活に退屈していたわけではないのだが、しかしいざ犯罪事件に巻きこまれたとなると、マリー=シャンタルも顔負けの冒険好きなのである。

(山田宏一 『新編 美女と犯罪』 ワイズ出版 P208)
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by JustAChild | 2010-09-24 17:42 | Wards

岡崎京子 カッコイイのが勝ち

 それにしても、この『思想の科学』という本はマジメだ。マジメだなあ。"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というイデオロギーから一番遠く離れた所にある気がします。

 そして、『家族』も。

 家族や家庭もまた、"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というヤツから遠く離れた場所にあるものです。

 家庭(または家族空間)という所は不思議な場所で、世間で唯一とされている「夫婦間で行われている合法的なセックス」を基ばんとし、そのこういの結果生まれた子供によって構成されている空間にもかかわらず、その空間ではセックスというこういが"タブー"として機能するみょうちきりんな所です。

 セックスが日常として行われている場所での禁忌。"秘めごと"としてのセックス。

 じっさい楽しい夕食の時間に、息子が自分の父親や母親に「ねえねえ僕はどんな体位のときにできちゃったコドモなのお?」と質問し、それにキチンと両親が「ハハハハ、お前はねえ後背位から松葉くずしに変えようと体をズラそうとしたしゅんかん、父さんがついついイッちゃってできちゃったコドモなんだよ」「やーねぇ、お父さんたら。あ・け・す・け ♥ 。でも、あのときはヨかったわねえ」なんて答えるシーンというものは想像しにくいものの1つです。もし、そういう家族がいたらロケン・ロールなファミリーってやつですね。カッコイイ。憧れちゃいます。

 でも大体において"ロケン・ロール的なもの"と"家庭(または家族)的なもの"は仲が悪い。相性が悪いとさえ言えます。

 それにしても"ロケン・ロール"とは一体何なのでしょう?


(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [岡崎京子テキスト・コレクション:カッコイイのが勝ち] 河出書房新社 P100)
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by JustAChild | 2010-09-24 17:07 | Wards

椹木野衣  岡崎京子の書き割り的仮説世界

――椹木さんが「書き割り」と言う時、そこには都市批判というよりは、憧れのようなプラスの感情もあるんですか?

椹木 というよりも、想像力が書き割り的なものにしか及ばないというか。「この空の向こうに無限に宇宙が広がっている」とか言われてもどうしても信じられない。何かどこかでだまされているような感じがぬぐえない。書き割り的な厚さのない平板なリアリティのほうが自分が生きて暮らしてきた感覚にはしっくりする。
 たとえばヨーロッパとか行くと、町全体がある種の理性のあらわれとして具現しているじゃないですか。街はそこにあるがままに遠近法の絵画のようでもあるし、そもそも都市という観念そのものがもっと理念的なものだと思うし、しかもそこには非常に深みのある歴史観みたいなものが、宗教であれ市民的な理念であれ隅々まで浸透していて、そういう場所では書き割り的ではないもののほうがリアリティをもって感じられるんだけれども、日本みたいなところにいると、それはちょっと無理でしょう。実際に建物とか見ても全部張りぼてだし、ファサードだけくっつけて、裏に回ったらボロボロのしもたや。それは古い建物がそうだというんじゃなくて、むしろ新しい建物のほうがそうで、見てくれだけ整えても30年もしたらボロボロになっちゃうようなプレハブばっかりでしょう。
 だから「書き割り」というのは、ぼくらが戦後たどってきた社会そのものの構造に由来することだと思うんです。つまり、対象を有機的な歴史や理想の奥行きや厚みの中で把握することができない。書き割り的な世界が好きか嫌いかということとはまた別に、そういうものを通じてしか現実に触れることができない。岡崎さんの漫画というのは、絵からしてそうだけれども、かなりそういうのを自覚的にとらえていたんじゃないかと思います。それは方法としての漫画、ということからしてそうです。
 つまり、日本の漫画というのは一方で劇画化というか、ある種の写実的な描写によって現実感を出そうという方向で発展してきたけれども、岡崎さんは、そういうものにはあまりリアリティを持たせなかったんじゃないか。あえて書き割り的に描いちゃうというか、そのつど仮説的に組んじゃうというか、物語の設定であれ風景描写であれ、人間の内面描写であれ、非常に仮説的で取り壊し可能というか。だから、下手くそだと言う人もいたけれども、それはわりと意図的に選びとられているし、もっといえばそういう面をある時期から強調すらしていたと思うんです。具体的には、測量というのではなくて、定規で引いた線で適当にできた世界ですね。

(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [椹木野衣インタビュー:エンド・オブ・ザ・ワールド] 河出書房新社 P128)
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by JustAChild | 2010-09-23 22:44 | Wards

吉田喜重  第一作『ろくでなし』を撮る

――レンズを75ミリ1本に限定したというのはどなたのアイディアですか。

吉田 これは私の発案です。映画を撮るときには、1つのレンズにしぼって撮る。それも75ミリ1本で撮ることを、あらかじめ決めていました。さまざまなレンズを組み合わせて撮影すると、これまで見慣れてきた映像空間、その肌触りを感じてしまう。75ミリのレンズは、松竹ではアップを撮るときに使われるものでした。それでロング・ショットも撮ると、焦点の合っている部分のみが強く印象づけられ、背景が霞む。こうした緊張感、映画全体が異様な、異質なものとして、観客の眼に映ることが、監督のデビューには欠かせないと思ったのです。そこにはおのずからスタイルが生まれる。

――1本で撮るということは、ファインダーを覗かなくても大体どのサイズになっているかはわかるわけですね。

吉田 しかし被写体に対しては、構図をレンズの選択によって決めるのではなく、キャメラ自体を常に動かすのですから被写体とキャメラのあいだに運動が起こり、写される俳優も舞台の定められた視点から見られているのではなく、みずからもキャメラに向かって運動する。

――それであの映画の躍動性が出てきたんですね。

吉田 そうだと思います。もちろんこれは監督の処女作には有効な方法でしょうが、それが惰性になってはいけない。こうして映像としての自分の文体ができ、確認されれば、今度はそれを壊してゆくことが必要でしょう。

――カット割りは直感でなさっていたんですか。

吉田 直感というより、映画は現場でしかないという発想です。木下さん演出を間近に見ていて、コンテを作らない方が映画が活き活きするということがわかったからでしょう。コンテを作ることは、あらかじめ想定された映像を再現しているにすぎない。それは映画表現がもつ偶然性、そのかぎりない魅力を捨て去ることです。俳優が訓練して演技すれば、それは舞台と同じです。むしろ訓練によって身につけることのできない演技、それは現場で、俳優の動きなかに、発見するしかないのです。ましてや現場には、予測のできない光がある。生きた空間がある。それと向き合うことが、映画の歓びなのです。そのかぎりでは映画の演出とは、監督自身の肉体を通しての表現でもあるのです。

――リハーサルなしでいきなり回すということはありますか。

吉田 それはあります。場合によっては、俳優が一回きりの演技と思ってやったほうが、最高のものができると、予感したときです。もっともそういう予感をあらかじめ話してしまえば、俳優はすでにテストしたのと同じで、新鮮さが失われる(笑)。


(『ユリイカ 2003年4月臨時増刊号 総特集 吉田喜重』 [吉田喜重インタビュー:パッションとしての映画 『ろくでなし』から『鏡の女たち』まで 聞き手・構成=筒井武文] 青土社 P18)
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by JustAChild | 2010-09-16 08:35 | Wards

タモリ 弔辞 ― 赤塚不二夫告別式

弔辞

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このヤロウ逝きやがったな』とまた高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が場面が、思い浮かべされています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外へのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつきニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義


( 弔辞  ノーカット版 )
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by JustAChild | 2010-09-16 07:44 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  『レッズ』とキャメラマン・ユニオン

――ウォーレン・ビーティの映画『レッズ』についてですが、あれには、大変な時間とエネルギーを注ぎ込まれましたね。ところがあと5日で終了というところでストップが出た。撮影がハリウッドで行われているからということで、ユニオンが自分たちの管轄内であたなに仕事をさせまいと妨害したわけなんですけれど*、ちょうど今お話していることとかかわってきますね。ユニオンは誰か他の人があなたに代わって撮り上げる、それでも結果は同じだと言っているんですね!どのみち、ルックは同じに出来上がると言っているんですが。

ストラーロ 私はアメリカ撮影監督協会にあてて、次のような手紙を書きました――「思想、あるいは直感的洞察を文学、美術、音楽、写真に変換させる創造性を持つ人のことを"作家"と言えるのであれば、また、写真が光の文学であるならば、そして撮影者とは、その経験、感受性、知性、感情、といったものを加味させながら、光、影、トーン、色を用いて与えられた仕事に自己のスタイルと個性の刻印を刻む作家である、というのが正しいとするならば、一国の撮影者を代表するユニオンが、他国の撮影者を代表する者によってなされた撮影の大切な最終仕上げの段階になって妨害を加えるなどということが、良心があるならばできることでしょうか――しかも1年以上かかわってきた仕事に対してです。
 それはまるで、作家に対して、その著作の終章を書き上げさせないこと、画家に対して最後のひと筆を加えさせないこと、作曲家に対して"フィナーレ"の完成を拒否することと同じではありませんか。このことは今日まで撮影者の芸術性と地位を高めるためになされてきた努力の核心を攻撃するものです。映画の撮影監督は表面に出ない技術者に過ぎず、いつでも好きな時に別の技術者と取り替えることができ、その映画にその人が注ぎ込もうとする創造の努力や個々のヴィジョンが突然侵害されてもどうしようもなかった昔に逆戻りさせることです。
 これは、その作品の作家たる全世界の撮影者に敵対する行為です。問題になっている、当のユニオンの全会員の利益に敵対する行為です。"光の文学のマジック"――撮影に敵対する行為なのです。」

――説得力のあるご意見ですね。

ストラーロ 撮影者の仕事を守ると言いながら、一方で私たちを機械の部品みたいに取り替えることができると考えているなどというのは、気狂い沙汰です。今までにこんなにがっかりしたことはありません。露出計をてにすることもできなかったし、13ヶ月間も力を合わせて取り組んできた映画のキャメラを覗くことさえできなくなったのです。


*ユニオンに加入するように説得されたが、ハリウッドに興味のないストラーロはそれを無視して帰国してしまった。だからその後に撮影された『ワン・フロム・ザ・ハート』ではストラーロは撮影監督のタイトルを与えられていない。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P267)
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by JustAChild | 2010-09-12 02:08 | Wards

ヴィルモス・スィグモンド  ソースライティングから出発し、自分自身の光源を作り上げる

――何かにライティングをするのだけれども、ライティングしているようには見せたくないという時、忘れてはいけないことは何ですか?

スィグモンド ハンガリーのライティングの授業では、私が学生だった時のことですが、「まず初めに光源を決めること」と言う教授がいた。ろうそくの明かりで撮るという授業ではずいぶん研究しました。テーブルの上にろうそくを置いて電気を消し、ろうそくがどう部屋を照らすかを見る。このように、まず基本的に自然のものからスタートする。何かを本物に見せたい時は、基本的に現実に見えるとおりを模写するわけです。映画を見にきた観客には何がリアルで何がそうでないかがわかる。だから、部屋のこの隅にスタンドがあれば、その隅から光を当てようとするだろうし、デイライトがここまで達していて、あそこに暖色の明かりがあれば、両者をミックスしようとするでしょう。そういうように現実を模倣しなければならない。ところが、絵画を勉強してみると、あるがままとは違う例に頻繁に出くわす。それはそのほうがもっといいやり方だと画家が判断したんだ。ベストのライティングとは観客がリアルだと感じた時のものなんだ。自然のままのものと比べてみても、そちらのほうが優れている時がある。俳優の顔を影にしておいても観客がたいして気にしないことはよくある。また退屈なこともある。そこで半分シルエットにしたりするんです。こういったことは撮影者にしか決められません。セットにいるほかの誰も気付きさえしないかもしれない。普通の監督でも無理でしょう。ですから自分の好みの監督と組むことがとても大切なのです。

――では、ソースライティングから出発するけれども、いつでもそこからそれることができるように、というか、自分自身の光源が作り出せるようにしないといけないわけですね。

スィグモンド おっしゃるとおりです。自分自身の光源を作り上げるわけです。どんなセットで撮る時も、美術監督と真っ先に打ち合わせることは光源はどこかということです。私との仕事になると、このことを知っていて、美術監督の人はこちらが訊ねる前に答えてくれる。光源がなければもちろんライティングにならないわけで、それでは退屈だ。自分にとって一番退屈なのは、例えばスーパーマーケットのような上からの蛍光灯照明ですね。だからそこによく手を加えます。普通の場合、上からの照明はそのまま使うけれど、そこにスーパーには存在しない柔らかいサイドライトを持ってくる。でも、柔らかい光なので誰もおかしいとは思わない。リアルでかつ興味深いルックが出来上がります。よりモデリングの幅が広くなり、ルックとしてもいくらか上質のものとなるわけです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P353)
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by JustAChild | 2010-09-10 06:26 | Wards


ここや/そこ/あちこちで/わたしたちは/徹底的に/やる


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