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ここや/そこ/あちこちで/わたしたちは/徹底的に/やる

マノエル・ド・オリヴェイラ ― インタビュー : 『不安(Inquiétude)』における「不安」について


関係のない、いくつかの異なった物語で構成されている映画を本当に好きになったことは一度もなかった。この映画はプリスタ・モンテイロの『不死の人生(OS IMORTAIS)』という奇妙な劇作品を映画にしてみたいという密かな願いから、すべてがはじまった。

しかし、コンテができると映画が短かすぎるものになるのではないかと急に不安になり始めた。そこで前から映画にしたいと考えていた2つの物語のことが頭に浮かんだ。それも同じく小さなもので、その時までにまだ実現はされておらず、まとめるのにちょうどいい機会だった。アントニオ・パトリシオの中編小説『スージー(SUZY)』が舞台にかけられ、それがヒントになって3つの物語を1つに結びつける可能性を与えてくれた。このようにして『スージー』が中心的なモチーフになり、『不死の人生』とアゴスティナ・ベサ・ルイスの『河の母(MAE DE UM RIO)』という物語を包み込んでいる。この『河の母』という物語は、フラッシュバックの形で語られる。映画全体に『不安』という題をつけたのは、それぞれの物語で多かれ少なかれ不安なことがテーマになっているからだ。実際、この『不安』という映画は、死すべきものが潜在的に持っている不死をつかみたいという欲望の表れを描いた3部作といえるかもしれない。


(大阪ヨーロッパ映画祭公式ホームページ http://www.oeff.jp/article210.html)
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# by JustAChild | 2010-10-02 18:46 | Wards

不安   Inquietude

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# by JustAChild | 2010-10-02 18:06 | I

『Famous』 Reiko Underwaterに聞く

――最初の『Famous』のコンセプトは“空っぽでビジュアル的な表現が完全に欠落した真っ白の雑誌”とのことですが、この創刊号のアイディアはどのように生まれたんですか?

Reiko 最初は漠然と雑誌を作りたいなあって思ってただけ。ちょうどTsunami-AdddictionでHypoと仕事をしていた頃のことだわ。イメージ(つまり膨大な数の写真)にちょっとうんざりしながら、あるひとつのアイディアが浮かんだの。コントリビューター(寄稿者)とビジュアル的な表現のない真っ白な雑誌を作ったらどうだろうって。

<中略>

――ベルギーで印刷しているようですが、フランス国内よりも印刷のコストが安いんですが?

Reiko 生産管理のことよくわからないんだけど……たぶんそうじゃないかな。印刷に関しては私じゃなくてSophieが決めているから。

――広告は自身の広告が入っているくらいですが、雑誌の制作コストはすべてあなたの持ち出しですか?

Reiko 友達の広告も掲載しているけど商業的な広告は載せたくない。もしActive Suspensionの広告が掲載することが決まったら、それは私たちがそのレーベルが好きで信頼をおいているから。私にとってはそのこと自体が情報を含んだ記事になると思うの。ただ『Issue#9/kids In Luxury』は例外で、あの号ではラグジュラリーな大企業の広告をたくさん載せる予定。特集が“LUXE(贅沢)”に関する内容だから特別ね。

――雑誌を作る上で一番大変なことはなんですか?

Reiko  よいコントリビューターを見つけることと、読み手を満足させること。


(『AFTERHOURS Issue#20 Annivarsary Special :2004 Summer』 [仏の地下機関誌『Famous』の全貌 text & interview by kyoko matsuya / translation by noriko yamane] AFTERHOURS P145 )
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# by JustAChild | 2010-10-01 02:10 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  私たちは過去のすべての撮影者を代表している

ストラーロ 『暗殺のオペラ』では基本的なアプローチはストーリーそのものが指示してくれていた。架空の物語でしたが、本当にあった話として表現しようとした。ある小さな町が物語の舞台だったので、その狭い地域をひとつの巨大なステージとして表そうというのが私たちの考え方だった。使おうとしたのは強烈でかつ純粋な色彩でした。ベルトルッチとの最初の映画でした。この映画の準備のためにミラノやローマのような大都会を出て、初めて田舎に行った時のすばらしさといったらなかった。都会では、煙や霧がフィルターのような作用をするので、物の本来の色が見えない。真っ赤な夕焼けや、青々とした水や、緑の草原が実際のところよく見えていないのです。澄んだ空気の中で、自然の純粋な色を見た時は、何とも言えない感動と強烈な印象を受けた。都会の騒音に邪魔されずに音を聞くこともすばらしかった。いつも車やエアコンやテレビなどの音をひっきりなしに耳にしているので、音を聞く能力が失われているけれど、そういう雑音を取り除くと、にわかに木の葉の落ちる音、木々の間を吹き抜ける風の音が聞こえてくる。これは大きな発見でした。『暗殺のオペラ』のあのルックはこういう経験から出たものです。
 私たちは現代の撮影者として、過去のすべての撮影者を代表している。現在に至るまでのありとあらゆる仕事の集積があって、はじめて現在の私たちがあるわけです。しかし、さらにその先に絵画の歴史がある。洞穴の壁に描かれた最初の落書き以来、古代エジプトの絵画以来、ピエロ・デラ・フランチェスカ以来、それぞれ独自の様式で、ストーリーや形態を個人の感情として表現するさまざまなやり方があらわれてきた。私たちの意識するしないにかかわらず、デザインしたり写真を写したり映画を撮ったりする時、それはこれまでの二千年の歴史をバックボーンとして表現しているということなのです。ですから私たちはこれまでになされたものを意識している必要がある。画家に過去のある様式と同じに絵を描いてくれというのは間違っていると思うし、ある撮影者のほかの映画と同じスタイルで撮影しろというのも間違っている。そんなことは絶対に出来ることじゃない。まったく同じような形で、同じ要素、同じ歴史が繰り返されることなどありえないからです。でも、どの方向に進むか、何をやりたいのか自分ではっきり知るために過去の作品を参考にすることはできます。

――リファレンスとしう形でのみ存在するということですね。

ストラーロ 参考にするものがあると、こうではなくああだと私たちに方向付けを与えてくれる。ですから文化や歴史に関する知識、それに自分自身の経験が大切になる。絵だけではなくて、演劇だとか、今こうして話し合っていることも大事なことなのです。あなたが手にしておられる書類が今このテーブルに影を落としていますが、これも私にとって参考になっている。私の心に影響を与えているかもしれないのです。どんなふうにか、あるいはなぜだか、またいつなのかはわかりませんが、これがまた記憶によみがえらないとは言えないのです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P257)
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# by JustAChild | 2010-09-26 18:21 | Wards

拾った女  Pickup On South Street

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# by JustAChild | 2010-09-26 18:07 | P

暗黒街の女   Party Girl

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# by JustAChild | 2010-09-26 03:23 | P

ローラ殺人事件  Laura

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# by JustAChild | 2010-09-26 02:41 | L

山田宏一   ブリジット・バルドーは探偵ごっこがお好き

 べべの最愛の夫(アンリ・ヴィダル)は若くてハンサムな歯医者さん。妖艶な美人ダンス教師(ドーン・アダムス)が彼をさかんに誘惑しようとしていることをべべは知っている。その美人ダンス教師が殺された。しかも、彼女の死体のかたわらには、こともあろうに、彼がピストルを手にして呆然と立ちつくしていた。もちろん、彼は無実、"あたしの彼"が殺人など犯すわけがないのだから。でも、警察はきっと彼を殺人容疑で逮捕するにちがいない。そのまえに、なんとかして真犯人を見つけださなければ!
 そこで、べべは、殺された美女のダンス教室にもぐりこみ(もちろん踊りはセックス同様得意中の得意なべべのことだからダンスの先生というふれこみで雇われる)、被害者の周辺をさぐってみると、怪しい人物がゾロゾロ出てくる。なかでも、ゲイ・バーのダンサーのフィリップ・ニコーが、どうも、くさい……。
 『気分を出してもう一度』(ミシェル・ボワロン監督、1959年)のブリジット・バルドーは、こうして、そそくさと事件の現場に出かけていき、独自の捜査を開始、そして、そんな彼女の素人探偵ぶりにうんざりさせられながらもじっとイライラして辛抱強く耐えてくれる警部さん(ポール・フランクール)の力を借りて、見事、真犯人をとらえてみせる。

<中略>

 ミシェル・ボワロン喜劇のべべは浮世の苦しみなど知らぬわがまま放題のブルジョワ娘。『気分を出してもう一度』の彼女が、アンリ・ヴィダル――というのは実生活ではミシェール・モルガンの若い夫で、『リラの門』(ルネ・クレール監督、1957年)でダニー・カレルを地下室にひっぱりこんで誘惑したセクシーで色男の殺人犯であるが、ミシェル・ボワロン喜劇ではいつもべべの愛する夫の役である――の演じるハンサムな歯医者さんを好きになって"しゃにむに"自分のものにしてしまったことは想像に難くない。実際、パパ(ノエル・ロクヴェール)の猛反対を押し切って、彼女はこの素敵な歯医者さんと結婚したのである。彼女はもちろんパパも大好きだが、歯医者さんの彼のほうがもっと好きなのだ。好きで好きでたまらないから、診察室にまで彼のあとをついていって、白衣を着こみ、患者などそっちのけにして、彼とベタベタ、キスばかりしている。その大好きな彼が濡れ衣を着せられて犯罪事件に巻き込まれたのである。べべとしては黙っているわけにはいかない。というわけで、この"神聖なお転婆娘"の探偵ごっこがはじまるのだ。
 ところが、この素人探偵は踊りに目がない。踊りはもちろん彼女にとってはセックスの代名詞である。その最も象徴的なシーンが、ダンス教室のホールで、"ふとって身軽な"ダリオ・モレノと陽気で快活なマンボを踊り狂うところ。『素直な悪女』の有名なマンボのシーン以上に心ときめく軽やかなたのしさにあふれていた――何もかも忘れてひたすらマンボを踊ることだけに身も心も浮かれ狂うべべの生きる歓びが、高らかな笑い声になってほとばしり出ていた忘れがたいシーンだ。
 すばらしいのは、べべの身の軽さである。マリリン・モンローは、たぶん、運動会の百メートル競走ではいつでもビリで、それがまた男性たちの拍手喝采を浴びることになるだろう。しかし、べべはけっしてビリにはならない――思ったよりもずっと身軽で、敏捷で、走るのが速いのである。もちろん、ミレーユ・ダルクのあの動物のような狡猾な疾走ぶりにはかなわないとしても。
 ミレーユ・ダルクも、ジョルジュ・ロートネル監督の抱腹絶倒暗黒活劇では、よく犯罪に首を突っこんだ。だが、彼女はひどく"こわがり"だし、そして逃げ足も早い。『気分を出してもう一度』のべべは、けっして大胆不敵というわけでもなく逃げ足が遅いわけでもないのだが、それにしても好奇心が強すぎるのである。もっとも、子供のような好奇心でフィリップ・ニコーの女装とメーキャップを穴のあくほど見つめているうちに、犯罪の謎をとくカギを発見するのであるが――。
 『ジャガーの眼』(クロード・シャブロル監督、1965年)のマリー=シャンタル(マリー・ラフォレ)のようにべべは何不自由ない都会の生活に退屈していたわけではないのだが、しかしいざ犯罪事件に巻きこまれたとなると、マリー=シャンタルも顔負けの冒険好きなのである。

(山田宏一 『新編 美女と犯罪』 ワイズ出版 P208)
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# by JustAChild | 2010-09-24 17:42 | Wards

岡崎京子 カッコイイのが勝ち

 それにしても、この『思想の科学』という本はマジメだ。マジメだなあ。"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というイデオロギーから一番遠く離れた所にある気がします。

 そして、『家族』も。

 家族や家庭もまた、"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というヤツから遠く離れた場所にあるものです。

 家庭(または家族空間)という所は不思議な場所で、世間で唯一とされている「夫婦間で行われている合法的なセックス」を基ばんとし、そのこういの結果生まれた子供によって構成されている空間にもかかわらず、その空間ではセックスというこういが"タブー"として機能するみょうちきりんな所です。

 セックスが日常として行われている場所での禁忌。"秘めごと"としてのセックス。

 じっさい楽しい夕食の時間に、息子が自分の父親や母親に「ねえねえ僕はどんな体位のときにできちゃったコドモなのお?」と質問し、それにキチンと両親が「ハハハハ、お前はねえ後背位から松葉くずしに変えようと体をズラそうとしたしゅんかん、父さんがついついイッちゃってできちゃったコドモなんだよ」「やーねぇ、お父さんたら。あ・け・す・け ♥ 。でも、あのときはヨかったわねえ」なんて答えるシーンというものは想像しにくいものの1つです。もし、そういう家族がいたらロケン・ロールなファミリーってやつですね。カッコイイ。憧れちゃいます。

 でも大体において"ロケン・ロール的なもの"と"家庭(または家族)的なもの"は仲が悪い。相性が悪いとさえ言えます。

 それにしても"ロケン・ロール"とは一体何なのでしょう?


(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [岡崎京子テキスト・コレクション:カッコイイのが勝ち] 河出書房新社 P100)
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# by JustAChild | 2010-09-24 17:07 | Wards

郵便配達は二度ベルを鳴らす  The Postman Always Rings Twice

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# by JustAChild | 2010-09-24 16:32 | P

マノエル・ド・オリヴェイラ ― インタビュー : 『不安(Inquiétude)』における「不安」について


関係のない、いくつかの異なった物語で構成されている映画を本当に好きになったことは一度もなかった。この映画はプリスタ・モンテイロの『不死の人生(OS IMORTAIS)』という奇妙な劇作品を映画にしてみたいという密かな願いから、すべてがはじまった。

しかし、コンテができると映画が短かすぎるものになるのではないかと急に不安になり始めた。そこで前から映画にしたいと考えていた2つの物語のことが頭に浮かんだ。それも同じく小さなもので、その時までにまだ実現はされておらず、まとめるのにちょうどいい機会だった。アントニオ・パトリシオの中編小説『スージー(SUZY)』が舞台にかけられ、それがヒントになって3つの物語を1つに結びつける可能性を与えてくれた。このようにして『スージー』が中心的なモチーフになり、『不死の人生』とアゴスティナ・ベサ・ルイスの『河の母(MAE DE UM RIO)』という物語を包み込んでいる。この『河の母』という物語は、フラッシュバックの形で語られる。映画全体に『不安』という題をつけたのは、それぞれの物語で多かれ少なかれ不安なことがテーマになっているからだ。実際、この『不安』という映画は、死すべきものが潜在的に持っている不死をつかみたいという欲望の表れを描いた3部作といえるかもしれない。


(大阪ヨーロッパ映画祭公式ホームページ http://www.oeff.jp/article210.html)
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# by JustAChild | 2010-10-02 18:46 | Wards

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# by JustAChild | 2010-10-02 18:06 | I

『Famous』 Reiko Underwaterに聞く

――最初の『Famous』のコンセプトは“空っぽでビジュアル的な表現が完全に欠落した真っ白の雑誌”とのことですが、この創刊号のアイディアはどのように生まれたんですか?

Reiko 最初は漠然と雑誌を作りたいなあって思ってただけ。ちょうどTsunami-AdddictionでHypoと仕事をしていた頃のことだわ。イメージ(つまり膨大な数の写真)にちょっとうんざりしながら、あるひとつのアイディアが浮かんだの。コントリビューター(寄稿者)とビジュアル的な表現のない真っ白な雑誌を作ったらどうだろうって。

<中略>

――ベルギーで印刷しているようですが、フランス国内よりも印刷のコストが安いんですが?

Reiko 生産管理のことよくわからないんだけど……たぶんそうじゃないかな。印刷に関しては私じゃなくてSophieが決めているから。

――広告は自身の広告が入っているくらいですが、雑誌の制作コストはすべてあなたの持ち出しですか?

Reiko 友達の広告も掲載しているけど商業的な広告は載せたくない。もしActive Suspensionの広告が掲載することが決まったら、それは私たちがそのレーベルが好きで信頼をおいているから。私にとってはそのこと自体が情報を含んだ記事になると思うの。ただ『Issue#9/kids In Luxury』は例外で、あの号ではラグジュラリーな大企業の広告をたくさん載せる予定。特集が“LUXE(贅沢)”に関する内容だから特別ね。

――雑誌を作る上で一番大変なことはなんですか?

Reiko  よいコントリビューターを見つけることと、読み手を満足させること。


(『AFTERHOURS Issue#20 Annivarsary Special :2004 Summer』 [仏の地下機関誌『Famous』の全貌 text & interview by kyoko matsuya / translation by noriko yamane] AFTERHOURS P145 )
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# by JustAChild | 2010-10-01 02:10 | Wards

ヴィットリオ・ストラーロ  私たちは過去のすべての撮影者を代表している

ストラーロ 『暗殺のオペラ』では基本的なアプローチはストーリーそのものが指示してくれていた。架空の物語でしたが、本当にあった話として表現しようとした。ある小さな町が物語の舞台だったので、その狭い地域をひとつの巨大なステージとして表そうというのが私たちの考え方だった。使おうとしたのは強烈でかつ純粋な色彩でした。ベルトルッチとの最初の映画でした。この映画の準備のためにミラノやローマのような大都会を出て、初めて田舎に行った時のすばらしさといったらなかった。都会では、煙や霧がフィルターのような作用をするので、物の本来の色が見えない。真っ赤な夕焼けや、青々とした水や、緑の草原が実際のところよく見えていないのです。澄んだ空気の中で、自然の純粋な色を見た時は、何とも言えない感動と強烈な印象を受けた。都会の騒音に邪魔されずに音を聞くこともすばらしかった。いつも車やエアコンやテレビなどの音をひっきりなしに耳にしているので、音を聞く能力が失われているけれど、そういう雑音を取り除くと、にわかに木の葉の落ちる音、木々の間を吹き抜ける風の音が聞こえてくる。これは大きな発見でした。『暗殺のオペラ』のあのルックはこういう経験から出たものです。
 私たちは現代の撮影者として、過去のすべての撮影者を代表している。現在に至るまでのありとあらゆる仕事の集積があって、はじめて現在の私たちがあるわけです。しかし、さらにその先に絵画の歴史がある。洞穴の壁に描かれた最初の落書き以来、古代エジプトの絵画以来、ピエロ・デラ・フランチェスカ以来、それぞれ独自の様式で、ストーリーや形態を個人の感情として表現するさまざまなやり方があらわれてきた。私たちの意識するしないにかかわらず、デザインしたり写真を写したり映画を撮ったりする時、それはこれまでの二千年の歴史をバックボーンとして表現しているということなのです。ですから私たちはこれまでになされたものを意識している必要がある。画家に過去のある様式と同じに絵を描いてくれというのは間違っていると思うし、ある撮影者のほかの映画と同じスタイルで撮影しろというのも間違っている。そんなことは絶対に出来ることじゃない。まったく同じような形で、同じ要素、同じ歴史が繰り返されることなどありえないからです。でも、どの方向に進むか、何をやりたいのか自分ではっきり知るために過去の作品を参考にすることはできます。

――リファレンスとしう形でのみ存在するということですね。

ストラーロ 参考にするものがあると、こうではなくああだと私たちに方向付けを与えてくれる。ですから文化や歴史に関する知識、それに自分自身の経験が大切になる。絵だけではなくて、演劇だとか、今こうして話し合っていることも大事なことなのです。あなたが手にしておられる書類が今このテーブルに影を落としていますが、これも私にとって参考になっている。私の心に影響を与えているかもしれないのです。どんなふうにか、あるいはなぜだか、またいつなのかはわかりませんが、これがまた記憶によみがえらないとは言えないのです。


(デニス・シェファー、ラリー・サルヴァート 『マスターズ・オブ・ライト アメリカン・シネマの撮影監督たち』  訳:高間賢治 他 フィルムアート社 P257)
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# by JustAChild | 2010-09-26 18:21 | Wards

拾った女  Pickup On South Street

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暗黒街の女   Party Girl

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ローラ殺人事件  Laura

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山田宏一   ブリジット・バルドーは探偵ごっこがお好き

 べべの最愛の夫(アンリ・ヴィダル)は若くてハンサムな歯医者さん。妖艶な美人ダンス教師(ドーン・アダムス)が彼をさかんに誘惑しようとしていることをべべは知っている。その美人ダンス教師が殺された。しかも、彼女の死体のかたわらには、こともあろうに、彼がピストルを手にして呆然と立ちつくしていた。もちろん、彼は無実、"あたしの彼"が殺人など犯すわけがないのだから。でも、警察はきっと彼を殺人容疑で逮捕するにちがいない。そのまえに、なんとかして真犯人を見つけださなければ!
 そこで、べべは、殺された美女のダンス教室にもぐりこみ(もちろん踊りはセックス同様得意中の得意なべべのことだからダンスの先生というふれこみで雇われる)、被害者の周辺をさぐってみると、怪しい人物がゾロゾロ出てくる。なかでも、ゲイ・バーのダンサーのフィリップ・ニコーが、どうも、くさい……。
 『気分を出してもう一度』(ミシェル・ボワロン監督、1959年)のブリジット・バルドーは、こうして、そそくさと事件の現場に出かけていき、独自の捜査を開始、そして、そんな彼女の素人探偵ぶりにうんざりさせられながらもじっとイライラして辛抱強く耐えてくれる警部さん(ポール・フランクール)の力を借りて、見事、真犯人をとらえてみせる。

<中略>

 ミシェル・ボワロン喜劇のべべは浮世の苦しみなど知らぬわがまま放題のブルジョワ娘。『気分を出してもう一度』の彼女が、アンリ・ヴィダル――というのは実生活ではミシェール・モルガンの若い夫で、『リラの門』(ルネ・クレール監督、1957年)でダニー・カレルを地下室にひっぱりこんで誘惑したセクシーで色男の殺人犯であるが、ミシェル・ボワロン喜劇ではいつもべべの愛する夫の役である――の演じるハンサムな歯医者さんを好きになって"しゃにむに"自分のものにしてしまったことは想像に難くない。実際、パパ(ノエル・ロクヴェール)の猛反対を押し切って、彼女はこの素敵な歯医者さんと結婚したのである。彼女はもちろんパパも大好きだが、歯医者さんの彼のほうがもっと好きなのだ。好きで好きでたまらないから、診察室にまで彼のあとをついていって、白衣を着こみ、患者などそっちのけにして、彼とベタベタ、キスばかりしている。その大好きな彼が濡れ衣を着せられて犯罪事件に巻き込まれたのである。べべとしては黙っているわけにはいかない。というわけで、この"神聖なお転婆娘"の探偵ごっこがはじまるのだ。
 ところが、この素人探偵は踊りに目がない。踊りはもちろん彼女にとってはセックスの代名詞である。その最も象徴的なシーンが、ダンス教室のホールで、"ふとって身軽な"ダリオ・モレノと陽気で快活なマンボを踊り狂うところ。『素直な悪女』の有名なマンボのシーン以上に心ときめく軽やかなたのしさにあふれていた――何もかも忘れてひたすらマンボを踊ることだけに身も心も浮かれ狂うべべの生きる歓びが、高らかな笑い声になってほとばしり出ていた忘れがたいシーンだ。
 すばらしいのは、べべの身の軽さである。マリリン・モンローは、たぶん、運動会の百メートル競走ではいつでもビリで、それがまた男性たちの拍手喝采を浴びることになるだろう。しかし、べべはけっしてビリにはならない――思ったよりもずっと身軽で、敏捷で、走るのが速いのである。もちろん、ミレーユ・ダルクのあの動物のような狡猾な疾走ぶりにはかなわないとしても。
 ミレーユ・ダルクも、ジョルジュ・ロートネル監督の抱腹絶倒暗黒活劇では、よく犯罪に首を突っこんだ。だが、彼女はひどく"こわがり"だし、そして逃げ足も早い。『気分を出してもう一度』のべべは、けっして大胆不敵というわけでもなく逃げ足が遅いわけでもないのだが、それにしても好奇心が強すぎるのである。もっとも、子供のような好奇心でフィリップ・ニコーの女装とメーキャップを穴のあくほど見つめているうちに、犯罪の謎をとくカギを発見するのであるが――。
 『ジャガーの眼』(クロード・シャブロル監督、1965年)のマリー=シャンタル(マリー・ラフォレ)のようにべべは何不自由ない都会の生活に退屈していたわけではないのだが、しかしいざ犯罪事件に巻きこまれたとなると、マリー=シャンタルも顔負けの冒険好きなのである。

(山田宏一 『新編 美女と犯罪』 ワイズ出版 P208)
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# by JustAChild | 2010-09-24 17:42 | Wards

岡崎京子 カッコイイのが勝ち

 それにしても、この『思想の科学』という本はマジメだ。マジメだなあ。"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というイデオロギーから一番遠く離れた所にある気がします。

 そして、『家族』も。

 家族や家庭もまた、"セックス・ドラッグ&ロケン・ロール"というヤツから遠く離れた場所にあるものです。

 家庭(または家族空間)という所は不思議な場所で、世間で唯一とされている「夫婦間で行われている合法的なセックス」を基ばんとし、そのこういの結果生まれた子供によって構成されている空間にもかかわらず、その空間ではセックスというこういが"タブー"として機能するみょうちきりんな所です。

 セックスが日常として行われている場所での禁忌。"秘めごと"としてのセックス。

 じっさい楽しい夕食の時間に、息子が自分の父親や母親に「ねえねえ僕はどんな体位のときにできちゃったコドモなのお?」と質問し、それにキチンと両親が「ハハハハ、お前はねえ後背位から松葉くずしに変えようと体をズラそうとしたしゅんかん、父さんがついついイッちゃってできちゃったコドモなんだよ」「やーねぇ、お父さんたら。あ・け・す・け ♥ 。でも、あのときはヨかったわねえ」なんて答えるシーンというものは想像しにくいものの1つです。もし、そういう家族がいたらロケン・ロールなファミリーってやつですね。カッコイイ。憧れちゃいます。

 でも大体において"ロケン・ロール的なもの"と"家庭(または家族)的なもの"は仲が悪い。相性が悪いとさえ言えます。

 それにしても"ロケン・ロール"とは一体何なのでしょう?


(『文藝別冊 岡崎京子― 総特集』(KAWADE夢ムック) [岡崎京子テキスト・コレクション:カッコイイのが勝ち] 河出書房新社 P100)
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# by JustAChild | 2010-09-24 17:07 | Wards

郵便配達は二度ベルを鳴らす  The Postman Always Rings Twice

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# by JustAChild | 2010-09-24 16:32 | P


ここや/そこ/あちこちで/わたしたちは/徹底的に/やる


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