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パウロ・ブランコ    世界中のモノクロフィルムをかっさらったんだ

PB  15年、20年前には、配給業者たちは私たちから作品を買うことができた。なぜなら彼らはそれをTV局に売ることができたからだ。今ではもうだめだ。配給業者たちは恐れている。
 (アラン・)レネのフィルムはいまだに世界中で売れているよ。でもそんな作品はレアなんだ。『ミステリーズ・オブ・リスボン』は別の話になる。この作品は製作の分野においてUFOみたいなものなんだよ。企画を始めたとき、誰もが私に「狂ってる」「できるわけがない」と言ってきた。でも私はこの作品のシナリオが並外れたものだと強く感じていた。私は、『ミステリーズ・オブ・リスボン』に関して、ふたつの異なった面で仕事をした。「シリーズもの」と「映画」という側面だ。そして私はふたつの国に賭けた。「シリーズ」はフランス作品であり「映画」はポルトガル作品だ。すべては配給の際の困難を避けるためだ。そういう構造において、金を手に得る術を知っていたからね。フィルムの周囲で起きることに関して、私は期待していなかった。それは奇跡的なことだ。4時間半のポルトガル映画がフランスで10万人の観客を獲得するなんてことは、生涯に1度だけ訪れるような出来事なんだ!私はこのフィルムをカナル・プリュス CANAL+ に売ることができた、資金調達においてではなく、だ。彼らのところには、時折ある種の寛容さがある。でもそのことは、フランス映画よりもヨーロッパ映画の場合のほうが単純だ。カナル・プリュスは彼らが望んだときにヨーロッパ映画を買うことができる。フランス映画の場合、もし彼らが制作後からそれを買うとすれば、それは業界がフランス映画よりも外国映画に不利益を与えるためなんだよ。それは割当には入らないんだ。同業者が外国映画よりフランス映画に不利益を与えるのはそのせいさ。

 ルイスの映画(『ミステリーズ・オブ・リスボン』)は世界中で売れた。アメリカでは5万ドルで売れて、50館で公開される。フランスとポルトガルでのヴィデオ(DVD/BD)のリリースだけで、最初は15万ユーロを稼ぐ予定だ。私は国際的なバイヤーであり、配給者であり、ここにこそ、私に有益な職人的な側面がある。こんなふうにして、その自由を手にするんだ。4回ポルトガルのコミッションを訪ねた。自由というのは、「いや、徹底的にやるさ」と言えることだ。私はカンヌにも、コンペティションを拒否したベネツィアにも行くことなく、可視性(visibilitèを得るチャンスを手にしたんだ。
 『ミステリーズ・オブ・リスボン』は1週間の上映が可能だとされていた。もし最初の週末のすべての上映が満席でなければ(このフィルムは1日に2回しか上映できない)、月曜にはスクリーンからお払い箱になるだろうことはわかっていた。わたしはUGCのシネ=シテ Cinè-citè館、レ・アール Les Halles館で公開するチャンスを得た。水曜日には客はほとんどおらず、木曜日にはちょうど半入りくらい。幸運なことに評判を得ることができ、金曜には人々が映画を見に来るようになった。そして土曜の最初の上映で劇場は満員になった。成功したんだ。幸運なことにその週末は天候が悪く、雨が降った。そうでなければ週末を越せただろうか?1本の映画の存続と言うのはとても不安定なものなんだよ。
 だからこそ、もしほかの配給方法があるんだったら、どうしてそれを使わない?VOD(ヴィデオ・オン・デマンド)はもちろんだが、でも人々はそこで何を探す?それは有名な作品であって、そうではないほかの作品じゃない。私は今はVODよりも、『ミステリーズ・オブ・リスボン』を半年、あるいは1年間、インターネット上で無料でアップロードすることを選ぶ。そのようにすることは、私とルイスに、次回作のための可視性を与えてくれるだろう。今日では、可視性の新しい形態を探さねばならない。他のフィルムでそれに成功したのは、例えばカンタン・ドゥピューの『ラバー』(10)がそうだ。このフィルムは場を探す術を心得ていた。
 もし金を支払うことが必要ならば、誰もアクセスしないだろう。もし無料なら、おそらく何かが起こる。みな、私が「クロノロジー・デ・メディア」[註1] を狂わせることを望んでいると思っているようだが、認めないよ。なぜなら、それは私たちプロデューサを救ってくれるものだから……でも然るべきときには、いくらか改良の余地がないかどうか検討しなくてはならない。
 人々がそう考える限り、私は壊したくない。なぜならこれは私たちを、つまりわれわれプロデューサーを救ってくれるものだからだ。しかしあるときには、そこに確かな成しうる変化がないのだとしても、検討しなければならない。なぜ劇場での公開とカナル・プリュスでの放映までの期間を1年から6か月に減らさないのか?人々はヴィデオ化についてしか考えていない。

――今後懸念されるのはDVDに関わる生存競争です。

PB  そういうケースがあったとして、なぜカナル・プリュスはある一定の入場者を下回った作品を6か月たっても放映しないのだろう?なぜすべてに対し平等にするんだ?たとえば、10万人以下の観客しか得られなかった作品を例外にすることだってできるだろう。DVD化されたフィルムの生命は、すでに劇場で成功おさめた作品にしか存在しない。作品がDVDで損失を取り戻すことはめったにない。

――あなたはどのようにして『ミステリーズ・オブ・リスボン』を地方で公開したのでしょう?

PB  このフィルムは地方で200館を回った。どこにもDCP(デジタル・シネマ・パッケージ)を上映する環境はなかった。だから多くの劇場上映にはブルーレイを使った。誰も初めは私のことを信用しなかったよ。その可能性を最初に私に話してくれたのは(フランシス=フォード・)コッポラだ。彼はエストリル映画祭に来ていた。私は『テトロ過去を殺した男』(09)の35mmプリントとDCPを持っていたんだが、そしたら彼はブルーレイ・ディスクを持って来て「もし問題があればこのフォーマットで上映してほしい」と言ってきた。「クオリティーは同じ、いやそれよりも上だからね」と。そしてそれは本当だった。(デヴィッド・)クローネンバーグも同じことを私に言ったよ。アメリカ人の見解によれば、ブルーレイには暗号化され得ないという明らかな不都合がある。DCPを用いれば上映の回数を確かめることができる。ブルーレイは誰かに貸すことができてしまう。しかしそんなことは私にとって甚だしくどうでもいいことだ。劇場は私に「小さなプロジェクターしか持ってないんだけど、どうやってこれを上映したらいいんだ?」と尋ねてきた。そして私はこう答えた、「たいしたことじゃないさ。プレイステーションを買ってきて、それに接続すれば最良の上映ができる」とね。私の仲間たちの中にも、最初はそれを拒絶するものがいた。彼らは本当に著作権侵害されることを恐れているわけだ。で、それがどうしたって?何が問題なんだ?少なくとも作品は見てもらえたわけだよ。
 国際的に作品を売り込むフランスのインディペンデント・プロデューサーたちは、今、彼ら自身でDCPで作りたがっている。たとえば、私があるフランス映画をポルトガルで配給するために買う。すると、それをどこで上映するのかを管理するために、私にDCPを提供してくるのがあいつらだ。バカ野郎どもだ!フランス映画を海外で公開するってことはすでに奇跡なんだ、なぜそのうえに上映回数まで管理するんだよ?そのせいで10倍は高くかかっている!そんな管理の脅迫観念は理解不能だ。何ももたらさないインターネットと同じだ。あいつらは全てをブロックしたがっているが、若い奴らはすでに新しい海賊行為の方法を見つけてる。この法律(Hadopi法)とともに失う金はいったいいくらだ?私が批判しているのはプロフェッショナルが硬直していること、彼らが時代が変わったということを理解していないことだ。映画に可視性をもたらす道具を持っているというのに、なぜそれを使わないんだ?

[1] Chronologie des medias フランスにおける劇場公開映画作品保護のために制定された、ヴィデオグラム発売、VOD、有料/地上波TV放送に関する期間的な規制。現行の規制ではヴィデオグラム発売は当該作品の劇場公開6ヶ月後、有料TV放送は1年後、地上波TV放送は2年後にそれぞれ認められる。

<中略>

――あなたは多くの若い映画作家たちの企画を受け入れていますね?

PB  たくさんあったね。でも残念なことに、今、私はあまり多くは目を通してないんだ。17本の作品を製作した年もあったが、今年はさほど多くない。6本の作品を製作した。今は、ポルトガルへのフランス侵攻の時代、まさにポルトガル版『戦争と平和』のような、ラウル・ルイスの新作に集中している。連作になるだろう。ファニー・アルダンの次回作にも関わっているよ。映画作家としての彼女の作品には興味を引かれるんだ。そして、ある若い映画監督の作品も製作しなくてはならない。今、3つ、4つの企画で迷っているものもある。映画を作るのは贅沢なことだ。そのために特別な機会として捉えなければならないだろうし、そのために犠牲を払わなくてはならない。まさにあるべき必要性だ。誰しも興行的に失敗する権利を持っている。私が思うに、クラブ・デ・トレーズ[註3] が探求している安全保障や援助は創造性に対する最大の敵だ。「中間の映画]を巡って起こっているあらゆることが古めかしいんだ。彼らは、別のものがあるべき場所を、奪いたいんだ。それは深刻な事だ。彼らは制度化されることを望み、公の役人のポストを占めたいわけさ。創造性のある映画が存在するのはまさに逆の場所だと私は思っている。むしろシステムを変えるために闘うこと、より多くの自由を得ることこそが重要だろう。私は、映画製作において、ふたつの本質があると思っている。今日の映画に欠けていることはまさに、勇気と欲望だ。

――あなたは若いプロデューサーを育成しなかったんですか?

PB  映画製作は個別の冒険だと思っているんだ。アンベール・バルサンとは親しい友人だったけど、私たちはまったく異なっていた。それぞれのプロデューサーが、各々にあった製作体制を開発するわけだ。学校はないんだ。
フェミス FEMISに講義に行ったとき、学生たちは私をまるで宇宙人のように見ていたよ。私の言っていることが、彼らがそれまでもそこで学んできたこととまるで正反対だったからだ。なぜなら、私たちはもともとシネフィルで、つまり発見の愛から出発している。映画がまさに本当の革命期であった特異な時代(ヌーヴェルヴァーグ、スコリモフスキ、カルメロ・ベーネ、パゾリーニ……)に生きるという幸運に恵まれていた。私の出発点はまさにそこなんだ。望むべきは、そのように作品が存在することだ。何もかも覚悟していた。

 ラウル・ルイス『テリトリー La territoire』(81)はオリヴェイラの『フランシスカ』(81)のフィルムの切れ端で撮影された。世界中のモノクロフィルムをかっさらったんだ。こんなこと、学校では教わらないだろうね。今のプロデューサーは独創性に乏しい。私たちは、先のことを考えずに生きていた。モレッティのことはよく覚えているよ。彼は、作品をパリで上映するために、3つのボビンを抱えてレピュブリックの事務所にやってきた。ある日、シュレーターはマグダレーナ・モンテズマとリスボンに来て、私にこう言った、「もうマグダレーナには6週間しか残された時間がないから、映画を撮るべきだ」、と。私は不可能だと彼に答えた。わずかな資金しか持っていなかったからだ。それでも『薔薇の王国 DER ROSENKONIG』を製作した。それがどうやって実現したのかはわからないが、撮影したんだ。ユベール・バル ―― 当時、ロッテルダム映画祭があるべき役目を果たしていた時代 ―― は、ヴェンダースと作品のラッシュを見て、私たちを多少なりとも援助し協力してくれた。つねに突飛なアレンジをするトマス・アルレンは、コダックのフィルムを買い、ポルトガルにただで送ってきてくれた。そのおかげで撮影を続けることができたんだ。許可も契約もなかった。何本の作品がこんな風にして生まれてきたことか!『マンハッタンから遠く離れて Lion de Manhatten』(82)の製作の際に、私は(ジャン=クロード・)ビエットに言った。製作には3つの条件がある。ロケで撮影すること、一ヶ月につき1度の週末で撮影すること(私は、レピュブリックの金庫の金を製作費にあてた。多少の現金を持っている必要があった)、メインのキャメラマンとしてマリオ・バロッソ、録音はジャン=ポール・ムゲルを使うこと。なぜなら、彼らは『フランシスカ』で仕事をしていて、一ヶ月に一度の週末になら、彼らをビエットの現場に送り出すことができたからだ。ビエットは3つの条件に応じて作品を構想した。こうやって作ったわけさ。F.J.オサンの『雌犬島の宝 Le Trèsor des iles Chiennes』(90)は、スタジオで撮影することを予定していたが、私は支払う金を持っていなかった。しかし、とてもいいあばら屋が田舎にあるとオサンに話した。ライティングを担当していたダリウス・コンジ(Darius Khondji)は照明器具一式を要求してきた。だから私は彼に、2つのマンダリン(軽い照明器具のこと)で乗り切るように話したんだ!
 私が言おうとしているのは、システムを改良し、そしていくつかの方策を打ち出そうと試みているということだ。私だって確信を持っていることなんてない。でも、行動してみるべきだ。フランス映画の幸福な時代はもはや存在しないことはよくわかっている。私は質について語っている。量は十分にあるからね。カンヌのCNC公式の現状分析文章は、非常に奇妙なものになるはずだ。今年、すでに製作された大量の映画を見れば、質の良いものが多くないことは明瞭だ。悪い年ではなかったと思うが、それにしてもな。ありえたかもしれない可能性を引き合いに出せば、やはり大したものじゃないんだ。

[3] Club des 13  フランス映画における「中間の映画」を提唱する映画人たちのグループ。パスカル・フェランがイニシアティブを執り、そのメンバーにはジャック・オディアールや先日急逝したクロード・ミレールなどが名を連ねる。



( 『nobody issue 37 特集 フィリップ・ガレル あるシネアストの肖像』P86-P93 「Cahiers du Cinèma」667号所収、P102~P107 2011年4月25日、パリ 聞き手・構成=ニコラ・アザルベール、ステファン・ドローム 翻訳=田中竜輔、槻舘南菜子)




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by JUSTAchild | 2015-01-24 03:35 | Wards

マノエル・ド・オリヴェイラ ― インタビュー : 『不安(Inquiétude)』における「不安」について


関係のない、いくつかの異なった物語で構成されている映画を本当に好きになったことは一度もなかった。この映画はプリスタ・モンテイロの『不死の人生(OS IMORTAIS)』という奇妙な劇作品を映画にしてみたいという密かな願いから、すべてがはじまった。

しかし、コンテができると映画が短かすぎるものになるのではないかと急に不安になり始めた。そこで前から映画にしたいと考えていた2つの物語のことが頭に浮かんだ。それも同じく小さなもので、その時までにまだ実現はされておらず、まとめるのにちょうどいい機会だった。アントニオ・パトリシオの中編小説『スージー(SUZY)』が舞台にかけられ、それがヒントになって3つの物語を1つに結びつける可能性を与えてくれた。このようにして『スージー』が中心的なモチーフになり、『不死の人生』とアゴスティナ・ベサ・ルイスの『河の母(MAE DE UM RIO)』という物語を包み込んでいる。この『河の母』という物語は、フラッシュバックの形で語られる。映画全体に『不安』という題をつけたのは、それぞれの物語で多かれ少なかれ不安なことがテーマになっているからだ。実際、この『不安』という映画は、死すべきものが潜在的に持っている不死をつかみたいという欲望の表れを描いた3部作といえるかもしれない。


(大阪ヨーロッパ映画祭公式ホームページ http://www.oeff.jp/article210.html)
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by JustAChild | 2010-10-02 18:46 | Wards

不安   Inquietude

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by JustAChild | 2010-10-02 18:06 | I


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