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原雅明     僕らはそんなものを聴きながら、ジャズの側を歩いてきた

 僕らは、当時、中古盤屋のエサ箱から、ネタになどなりようにもないレコードばかりを漁った。奇妙なシンメトリー構造の夢物語を語るローランド・カークとか、デキシーランドからフリーまでを360度体験と銘打って再現化したビーヴァー・ハリスとか、楽器のようなヴォイスが無愛想に演奏空間を浮遊するアネット・ピーコックとか、エレクトロニクスとジャズを観念なしに即物的にミックスしてしまったギル・メレとか、尺八から日本的な湿り気を排してなおかつ凛とした空間を作った山本邦山と菊池雅章のコラボとかを、掬い上げては嬉々としていた。

<中略>

90年代も終盤にさしかかった頃、よりハードコア度を高めたラップが疲弊をしだし、複雑さと精巧さを極めたドラムンベースが2ステップへとセクト化していくのを傍目に見ながら、僕らは再びジャズとの接点に目を向けることになった。ポストロックとターンテーブリストの世界は、明らかにジャズの方向を向いていて、しかも、それは、かつて僕らにとって価値のあった"ジャズじゃないジャズ"へとまさに遡行していくようだった。僕らは、QバートよりDJクエストやロブ・スウィフトを、トータスよりアイトソープ217やシカゴ・アンダーグラウンド・デュオを好んだ。これまた、人によってはどうでもいい差異であると思いながら・・・・・・。

 そして、僕らは相も変わらず、技術に裏打ちされた演奏自体よりも、空気感やテクスチャーを好んだ。グルーヴもテクスチャーがすべてだった。DJクラッシュやDJヴァディムやジミー・テナーといった連中がレコード棚の隅からフリージャズを引っぱり出してくるのにほくそ笑み、端正な4つ打ちやストイックなブレイクビーツの微妙な揺らぎにこそ、気が滅入るフリー・インプロヴィゼーションを乗り越える力があると思いもした。もちろん、そんなものが思い込みにすぎないことも分かっていた。
 だが、僕らは、このあと、アッドリブがアルターエゴのカジモト名義で、ヘリウムガスでひっくり返った声で「アストロ・ブラック」と叫ぶのを聴き、ヤン・イェリネックがデレク・ベイリーのギターの残響音だけをサンプリングしループしてジャズを見つけるのを聴き、そのヤンとの音作りにまで踏み込んでしまったインドープサイキックスの急激な変化にかつてのジャズの前衛的青臭さを聴き、エミネムとのバトルもしたドーズワンがインプロヴァイザー相手にライムを踏み外していくのを聴き、シンク・タンクという特異なるヒップホップ集合体がジャズと接触して塑性変形しる様を聴き、バトルなんて糞だと言い張るスクラッチDJのリッキー・ラッカービッグ・バンドを相手にインプロヴィゼーションを始めるのを聴くことになる。それらは、いまだ、"ジャズじゃないジャズ"の在処を伝えてくる。僕らはそんなものを聴きながら、ジャズの側を歩いてきた。だが、ジャズと本当に交わり合うことができるとは思わないし、僕らにとって、ジャズとはそれでいいのだ。


(原雅明  「JAZZ NOT JAZZ ── 「ジャズじゃないジャズ」の在処を伝えてくる音楽」 『音楽から解き放たれるために ── 21世紀のサウンド・リサイクル』 P276-278)
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by JustAChild | 2011-06-25 00:43 | Wards


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