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ここや/そこ/あちこちで/わたしたちは/徹底的に

ジョン・フォード   馬にしては珍しいほど、私のことを愛していたんだ


——サイレントの当時、脚本家とのチームワークは、大体のところ、どんなものだったのでしょう?

フォード 脚本家と缶詰になって作業することは、一切しなかった。例えば、『アイアン・ホース』のオリジナル脚本を書いたのは、ジョン・ラッセルだったが、われわれが頼りにしたのは、実際、簡単なメモ程度のストーリーだった。
 ロケーションに出かけた先はネヴァダ。ロケ隊がそこに着いた時、外気は約零下六度だった。俳優たちとエキストラは、全員、夏着だったので、震え上がったよ。連中が白いニッカポッカー姿で朝起きた時が面白かった。ひどい時期に行ったもんだ。
 いつか『アイアン・ホース』の撮影裏話を書く時間があったら、と思っている。なにしろ珍事続出だったよ。一行のうち、女たちはサーカスの車に住まわせ、男どもはセットの外に小屋を建てて、そこに押しこんだ。(後に、メキシコの砂漠に移動した時のことだ。ソリーという小男がカメラマンのジョージ・シュナイダーマンのところへやって来て言うには、「ホテルは一体どこにあるんで?」ジョージは言ってやったそうな。「ホテルだと?君の立っているところがそうさ」)
 ところで問題はだ。制作費が日いちにちと、山のようにかさんでしまい、当初の単純な小ストーリーが、フォックス社始まって以来の大作、いわゆる”エピック”になってしまったことだ。もちろん、もし会社がその時何が起こりつつあるかを知ったら、即刻、中止令が出されたことだろうよ。

——完成後、会社側が手を入れた個所は相当ありますか?

フォード それほど多くはないね。しかし、会社としてはあの主演女優にしこたま金を注ぎこんでいたので、 フォックス社重役、ソル・ワーツェルは、彼女のクロース・アップが不足だと言い出した。そこで会社は、他の監督に頼んで、彼女を壁の前に立たせ、笑顔を作るショットを追加撮影したもんだ。そんなことしても、作品には何の役にも立ちゃしない。照明は合わないし、コスチュームすらちぐはぐだった。会社は、約十二個所、彼女のクロース・アップをはめこんだ。当然ながら、それは私にとってはぶちこわしもいいところだった。

——そういう経験は、それが初めてでしたか?

フォード ウーム、とにかく、最後でなかったことだけは確かだな。

——カメラマンのジョージ・シュナイダーマンとは、どうやって仕事をされましたか?例を挙げてどうぞ。

フォード 具体的にかね。私は、影はあくまでも黒く、陽光はあくまでも白く撮ってもらう主義だ。それに、光の中にいくつか影を置くのも好きだ。ジョージとは、その点についてよく打ち合わせはした。私が「ここがいい。ジョージ」と言うと、彼が「いいねぇ。だけど私は、もう少し光のほうに動かしたいな」と答える。そこで、私が「やれよ」と言う。こんなふうだった。私たちは実に呼吸が合った。一度だって、私はカメラマンと喧嘩したことがないよ。

——初期の頃から、あたなは同一ショットのフレームのなかで、暗い室内からまばゆい光の外景を撮るのがお好みのようですが。

フォード そうだ。しかし、それがカメラマン泣かせなんだ。露出を決めるのがむずかしいからな。仮にうす暗いテントの中から、陽射しの中へ出てくる人物がいるとしよう。彼の歩みに従って、外界の明るさにゆっくり露出を合わせなければならん。観客がそれと気づかよう、細心の注意を払ってやらねばいかんしな。

——サイレント時代、俳優の演技指導にはリハーサルをされましたか?

フォード そんなことをしている余裕はなかった。役者に伝えることのできることといったら、どっちに向かって動け、という指示だけだった。ところで、役者が動いている間中、話しかけることができたのは、大助かりだったよ。何しろ、サイレントだ。今でもそれができるといいんだがね。時によって、女優は、音楽が少しでも鳴っていたほうが芝居がしやすいようだ。それが気休めになるなら、と私はダニー・ボーザジに命じて、アコーディオンを静かに弾かせたもんだ。あの頃は、みんなそうやっていた。馬鹿げたことのように思えるかも知れんが、とにかく役に立った。


『香りも高きケンタッキー』(一九二五)

フォード 他愛もない競馬のストーリーを撮りに、はるばるケンタッキーくんだりまで出かけた。撮りながら、お笑いをどっさり詰めこんだ。雌の仔馬がいて——実にホレボレする容姿だったよ——、それが、何かと私にすり寄ってきたっけ。群から一頭だけ離れて、俺んところにばかり来るんだ。俺の帽子をくわえて逃げ、こっちをふり返る。そして、トコトコ戻って来ては地面に落とす。拾おうとすると、またくわえ上げて逃げていく。持ち主が言ったもんだ。「どうして名前をつけてやんなさらない? あのこは監督さんにホレてるんですぜ」
 そこで私は、その仔馬をメアリー・フォードと名づけてやった。メアリーは大人になってレースに出場し、三回連続で優勝したという。が、かわいそうにその場で脚を折り、競走馬として使いものにならなくなって、乗物用の馬に売り渡されてしまったとか。私は競馬の通ではないが、そんなことにならなければ、あのこは有名な競走馬になったと思う。あの仔馬のことは忘れたことがないな。馬にしては珍しいほど、私のことを愛していたんだ。役者に演技をつけている間、あのこは私の椅子の脇にじっと立っていた。撮影が終わって立ち去る時、あのこは、群の他の連中が半マイルも向うにいるというのに、柵沿いにわれわれの乗った車の後をしたって、どこまでもついて来たものだった。



( ピーター・ボグダノヴィッチ 『インタビュー ジョン・フォード』 訳:高橋千尋 分遊社 P86-93)
by JustAChild | 2012-12-11 05:51 | Wards

ジョン・フォード   馬にしては珍しいほど、私のことを愛していたんだ


——サイレントの当時、脚本家とのチームワークは、大体のところ、どんなものだったのでしょう?

フォード 脚本家と缶詰になって作業することは、一切しなかった。例えば、『アイアン・ホース』のオリジナル脚本を書いたのは、ジョン・ラッセルだったが、われわれが頼りにしたのは、実際、簡単なメモ程度のストーリーだった。
 ロケーションに出かけた先はネヴァダ。ロケ隊がそこに着いた時、外気は約零下六度だった。俳優たちとエキストラは、全員、夏着だったので、震え上がったよ。連中が白いニッカポッカー姿で朝起きた時が面白かった。ひどい時期に行ったもんだ。
 いつか『アイアン・ホース』の撮影裏話を書く時間があったら、と思っている。なにしろ珍事続出だったよ。一行のうち、女たちはサーカスの車に住まわせ、男どもはセットの外に小屋を建てて、そこに押しこんだ。(後に、メキシコの砂漠に移動した時のことだ。ソリーという小男がカメラマンのジョージ・シュナイダーマンのところへやって来て言うには、「ホテルは一体どこにあるんで?」ジョージは言ってやったそうな。「ホテルだと?君の立っているところがそうさ」)
 ところで問題はだ。制作費が日いちにちと、山のようにかさんでしまい、当初の単純な小ストーリーが、フォックス社始まって以来の大作、いわゆる”エピック”になってしまったことだ。もちろん、もし会社がその時何が起こりつつあるかを知ったら、即刻、中止令が出されたことだろうよ。

——完成後、会社側が手を入れた個所は相当ありますか?

フォード それほど多くはないね。しかし、会社としてはあの主演女優にしこたま金を注ぎこんでいたので、 フォックス社重役、ソル・ワーツェルは、彼女のクロース・アップが不足だと言い出した。そこで会社は、他の監督に頼んで、彼女を壁の前に立たせ、笑顔を作るショットを追加撮影したもんだ。そんなことしても、作品には何の役にも立ちゃしない。照明は合わないし、コスチュームすらちぐはぐだった。会社は、約十二個所、彼女のクロース・アップをはめこんだ。当然ながら、それは私にとってはぶちこわしもいいところだった。

——そういう経験は、それが初めてでしたか?

フォード ウーム、とにかく、最後でなかったことだけは確かだな。

——カメラマンのジョージ・シュナイダーマンとは、どうやって仕事をされましたか?例を挙げてどうぞ。

フォード 具体的にかね。私は、影はあくまでも黒く、陽光はあくまでも白く撮ってもらう主義だ。それに、光の中にいくつか影を置くのも好きだ。ジョージとは、その点についてよく打ち合わせはした。私が「ここがいい。ジョージ」と言うと、彼が「いいねぇ。だけど私は、もう少し光のほうに動かしたいな」と答える。そこで、私が「やれよ」と言う。こんなふうだった。私たちは実に呼吸が合った。一度だって、私はカメラマンと喧嘩したことがないよ。

——初期の頃から、あたなは同一ショットのフレームのなかで、暗い室内からまばゆい光の外景を撮るのがお好みのようですが。

フォード そうだ。しかし、それがカメラマン泣かせなんだ。露出を決めるのがむずかしいからな。仮にうす暗いテントの中から、陽射しの中へ出てくる人物がいるとしよう。彼の歩みに従って、外界の明るさにゆっくり露出を合わせなければならん。観客がそれと気づかよう、細心の注意を払ってやらねばいかんしな。

——サイレント時代、俳優の演技指導にはリハーサルをされましたか?

フォード そんなことをしている余裕はなかった。役者に伝えることのできることといったら、どっちに向かって動け、という指示だけだった。ところで、役者が動いている間中、話しかけることができたのは、大助かりだったよ。何しろ、サイレントだ。今でもそれができるといいんだがね。時によって、女優は、音楽が少しでも鳴っていたほうが芝居がしやすいようだ。それが気休めになるなら、と私はダニー・ボーザジに命じて、アコーディオンを静かに弾かせたもんだ。あの頃は、みんなそうやっていた。馬鹿げたことのように思えるかも知れんが、とにかく役に立った。


『香りも高きケンタッキー』(一九二五)

フォード 他愛もない競馬のストーリーを撮りに、はるばるケンタッキーくんだりまで出かけた。撮りながら、お笑いをどっさり詰めこんだ。雌の仔馬がいて——実にホレボレする容姿だったよ——、それが、何かと私にすり寄ってきたっけ。群から一頭だけ離れて、俺んところにばかり来るんだ。俺の帽子をくわえて逃げ、こっちをふり返る。そして、トコトコ戻って来ては地面に落とす。拾おうとすると、またくわえ上げて逃げていく。持ち主が言ったもんだ。「どうして名前をつけてやんなさらない? あのこは監督さんにホレてるんですぜ」
 そこで私は、その仔馬をメアリー・フォードと名づけてやった。メアリーは大人になってレースに出場し、三回連続で優勝したという。が、かわいそうにその場で脚を折り、競走馬として使いものにならなくなって、乗物用の馬に売り渡されてしまったとか。私は競馬の通ではないが、そんなことにならなければ、あのこは有名な競走馬になったと思う。あの仔馬のことは忘れたことがないな。馬にしては珍しいほど、私のことを愛していたんだ。役者に演技をつけている間、あのこは私の椅子の脇にじっと立っていた。撮影が終わって立ち去る時、あのこは、群の他の連中が半マイルも向うにいるというのに、柵沿いにわれわれの乗った車の後をしたって、どこまでもついて来たものだった。



( ピーター・ボグダノヴィッチ 『インタビュー ジョン・フォード』 訳:高橋千尋 分遊社 P86-93)
by JustAChild | 2012-12-11 05:51 | Wards


ここや/そこ/あちこちで/わたしたちは/徹底的に


by JUSTAchild

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